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ヒトはいつかしぬ。

物騒なタイトル。
ヒトはいつかしぬ。って当たり前ですよね。
しんでほしくないと思ってもそれは無理だし
早かれ遅かれいつかしぬ。みんなしぬ。
わたしも、いつか、しぬ。

しぬと書くと絶望的かなと思ったけど、
そうでも無いらしい。もちろん、希望でもない。
わたしたちはみな、死という病気を持って生まれてきた。逃れることはできない。それを悲しんだり、それを怖がったり、避けて通ろうとしても。意味が無い。会いたい人に会えなくなるという寂しさはわかる。わたしにとってそれは誰だろう。私の祖母や祖父はもうこの世に居ない。会いたいかと言われれば特にそう思ったことは無い。今も心のどこかに彼らは生きていて、時折思い出しているから、寂しくないのだ。そこには私が昔飼っていた犬の思い出もある。ダイの大冒険の名言を借りれば、バルトスの、思い出をありがとう、である。思い出があれば寂しくないのだ。実際は。だからわたしは地元を離れ、地元の友人と久しく会っていない。会いたいか?と問われれば、NOと答えるだろう。同窓会にはこれまで一度しか行ったことはない。その1度でもう二度と行きたくないと思ったのだ。それは確かに僻みでもあったけれど、その時感じた悔しさ、恥ずかしさ、惨めさをバネに頑張った結果、今の私がいると思っているので、ある意味で感謝しなくてはならないなと思う。つまり、会えなくて寂しくないのだ。会えないことでわたしは思い出に浸ることが出来る。思い出があれば寂しくないのだ。それだけでいい。それだけで十分である。ヒトはいつかしぬ。しぬまでどんな思い出を覚えていられるか。そういうレースだと私は思っているので、過去の人たちに会いに行くことで忘れていた思い出を思い出すことの無類の楽しさは理解しつつも、その感覚はわたしの姉だけでいい。わたしの人生の半分を共にすごした姉と会話することで、その独特の懐かしさを体感出来る。なにも、当時の鬱屈としたじぶんを思い出すことなどない。何度も言っているが、私の学生時代に、いい思い出なんてひとつもない。

なぜ、今回の記事で、死を考えたのか?を明かそうと思う。実は、私の父が、どうやら、癌らしいのだ。今日わかった。前立腺癌らしい。今度検査入院ということなのだが、それが来月だという。コロナ禍だから予約でいっぱいなのか、それとも、症状が軽いからなのか。その両方だと思いたいが、とにかく、入院となるだろう。私の父はまだ後期高齢者となってはいないので、まだピンピンしているのだが、それでも、癌と言われれば、あぁいよいよ、両親の死という避けて通れない時期が来るかも知らないなあと思ったのだ。重ねて言うが、ヒトはいつかしぬ。それは私の両親とて同じだ。だから死んで欲しくないといってもそれは無理だし、意味が無い。悲しんだところでそれはこの世に生まれたヒトはすべて死という病気を持って生まれてきているので仕方がないのだからわたしは悲しんだりしない。もちろん、喜んでいる訳でもないが、いつかしぬ。という感覚が、いつか、ではなくて、数年以内に死ぬかもしれないという時間制限が付いたということだけだったりする。しかし、わたしがこの状況で、1番に思ったのは、わたしの父親がどのように老後をすごして、ヒトとしての最期を迎えるのかという点においては大変に興味深いと思ったことだ。つまり、私の祖父、私の父と、父方はどのような人生であり、どのように幕を閉じるのか?という事実は、私にとって唯一無二の事実であり、今後の私の老後や最期を考える意味での重要な参考資料となるからだ。少し触れておくと、祖父は最後アルツハイマーで寝たきりだった。そして病院で祖母に看取られながら亡くなった。77歳だったと記憶する。幸せだったに違いない。いま、わたしの父は72歳だ。癌とこれから付き合っていく中で、祖父の77歳を迎えられるのかがひとつのターニングポイントとなるだろう。今回の癌の発見が早かったのは定期検診を受けていたからだということなので、ここもまた、わたしの老後を考える意味で、定期検診は必ずやろうと心に決めることができた。それは伴侶である母を悲しませることを避けるためだ。発見が早ければ例えしぬとしても、心の準備ができる。発見が遅ければ言うまでもなくしぬまでの時間は少ない。あれだけパワフルに、自分の好きに生きてきた私の父親だ。最期まで好きに生きるだろう。癌になったとしてそれは変わらない。だが思うのは、伴侶である母に負担が大きいことだ。母もまた心労で倒れてしまうかもしれない。その点についてはいまのところ、気丈に振舞っている。それは近くに住む姉がサポートしているからというのもあるだろう。ヒトはいつかしぬ。そのことは避けられない。だが思うのだ。ヒトは1人ではいきていけない。この言葉もまた真理である。だからわたしもいま、家族がいて、そしてこれを読んでくれるあなたがいる。Twitterを開けばわたしを気遣ってくれる人がいるし、エオルゼアで私を友と慕ってくれる人もいる。その人たちに感謝の気持ちしかない。わたしがどれだけ有難いと思っているのかについてはまた別の記事にしようと思う。ヒトはいつかしぬ。わたしもいつかしぬ。今年、マイディーさんも亡くなった。ファイナルファンタジー14の吉田直樹氏も、いつか……。それは避けて通れない。願っている訳では無い。もちろん、生きていて欲しい。少なくとも私がまだ元気なうちは一緒に歳をとって欲しい人生の先輩だ。彼がいなくなったら……考えたくはないが、今回、私の父親の件を鑑みるに、どこか、わたしは吉田直樹氏を家族のように思っているふしがあるらしい。関係は……うーん。お兄ちゃん? 親戚のおじさん、かな?
いつかしぬ。だからどうする?
だからわたしは、このいつか終わる日々を記録したい。そして、私のこの記録を、時間のある時に見返したいのだ。もちろんわたしがしんでしまったら、それを見返してくれるあなたのために。……?!わたしはまだしにませんけどね!なーんて。

MUSICAでした...♪*゚

MUSICAもしなないもん!(ゲームだからよし!)

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