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疲れには、2種類ある。

肉体的な疲れと
情報過多による、疲れだ。

SNSに普段から触れているわたしは
情報過多のそれに触れすぎる。
そして頭が、パンク寸前まで行く。
わかりやすく熱が出ることもある。
考えすぎて、情報整理が出来ずに
オーバーヒートを起こすのだ。

だからわたしは夜は音を出すテレビとか
音楽とかのメディアは無音で利用する。
情報過多にならないようにする工夫だ。
朝もテレビはつけているものの音は出さない。
その状態でiPadなんかを使ってAbemaTVを
見たりしている。テレビ?ウェザーニューズだ。

そうやって情報を重ね着し、
時に音量オフにするなどして調節する。
すべては情報過多による疲れ、
情報酔いに対するダムのような役割を果たす。

情報は多すぎていい事などない。
Aという情報を受け取る。
そこにAとは全く関係ないBが来る。
と思えばCやDなんていう情報がなだれ込む。
コロナの報道がいい例かもしれない。
コロナがどこどこで発生した。
今日の感染者数は何千人。
マスクが飛沫感染を防ぐ。
部屋は常時換気しなくてはならない。
これだけでもうおなかいっぱい。頭の中はコロナの情報過多になってしまう。

考えすぎること。
考えないでいること。
どちらが楽かと言えば
前者だろう。
考えないでいることは
案外難しい。どうしても
頭をよぎるからだ。

知らず知らずのうちに
あらゆる情報を過剰に摂取してしまうことで
正常な判断や、心の安定が図れなくなる。
そうなるとアレだ。自律神経を失調するのだ。

程度はあるものの、結局は
情報過多がもたらす弊害であるとわたしはおもう。
時折無性にアクションゲームを無心でやりたくなる。
それも割と単純なやつ。蹴って殴って敵を倒すようなベルトアクション。それはまさに無我の境地を得るための、煩悩を解き放つための儀式。
甘いものを食べたり、お風呂の湯船に長く漬かったり。それらは全て同じ目的。考えすぎた頭を解す役割である。noteに綴る私。これも同じだ。

考えても考えても答えが出ないばかりか、
つい悪い方向へ考えすぎてしまう。
私は昔からなにかトラブルがあると
そのことを考えすぎてしまう。
恐怖に打ち勝つにはどうするかという
防衛反応の一種だろう。
ひたすらに恐怖に値しないと自己暗示するからだ。
大丈夫、大丈夫。私なら乗り越えなれる。
それは確かに効果を発揮する。けれども
多用してはならない。なぜなら、ブーストさらた
処理を自分に科すことになるからだ。
当然脳に負荷がかかり、心を病む原因となり得る。

わらおう。わっはっは。
忘れよう。しーん。
心が動かされる瞬間を大切にしよう。
わー!すごい!
何か一つのことに固執して考えて考えて
考え抜いていい答えがでるわけない。
いい答えとは、忘れた頃にもう一度フラットな気持ちで捉えた時に生ずる希望の光だ。
固執するということは、その真逆の行為である。

冒頭に述べたように
わたしは疲れている。
それは主に情報過多によるものだ。
明日は金曜日。
明日に私の運命がかかっている。
そのためにいまできること。
寝よう。
休息が必要だ。

MUSICAでした...♪*゚

楽しいことばかりじゃない。
どうにもならない事もある。
だけどそこに固執せず
案ずるよりも。産むほうが早い。
疲れたら寝る。
それが自然なのだから。

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