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予習があたりまえの世の中。

人生は不確定要素があるから楽しいと言ったのは
誰だったか。
街を歩けば誰に会うかわからない。
行きつけのお店に行けば
運命の人と出会えるかもしれない。
明日が分からないから、楽しいのだ。
……じゃなくなってます、最近。

予習ができてしまう世の中。
明日何が起きるのか?
Googleカレンダーにリマインダー付けるから
ある程度はわかるよ?
明日観たいアニメの内容は単行本で予習済。
映画館で先に見たから内容知ってる。
コンテンツは予告通りに提供される方がいい。
望まれるのは予定調和であって、いい意味での裏切りなんて言葉は、もはや有り得ない。
莫大な情報、幅広い検索機能がそれを許さない。
ある程度は情報を開示しておき、同意を得て初めてコンテンツは受け入れられるからだ。

それは窮屈な世界?いや、単に損をしたくないだけである。可処分所得が減り、可処分時間すら少ない。コンテンツは少ない時間をどれだけ占めることができるか?という戦場で戦っている。コンテンツの敵はコンテンツすべてである。アニメ、ゲーム、SNS、動画配信サービス、人間関係、恋愛関係、家族との時間。食事、お風呂、トイレ、睡眠時間。すべて可処分時間を奪うライバルだ。それらに打ち勝つ必要がある。なるほどコンテンツが研ぎ澄まされるわけだ。

自分で言っておいてなんだが、利用する側の損したくないというニーズはかなり根強い。お金や時間をかけた分、それなりの納得感や充足感がないともはや詐欺だといわんばかりの発想である。求められるのはあくまで誠実さであり、誇張されたり、過大に塗り固められた嘘ではない。まぎれもない本心。嘘偽りのない正直さなのである。

わたしからすると、その方が堅苦しいと思うのだが。わたしが今の20代の人に感じる真面目さは、ここに起因する。損したくない。バカにされたくない。上手にスマートに生きたい。失敗したくない。かっこ悪いことしたくない。悪目立ちしたくない。でもかまって欲しいときはかまって欲しい。SNSで繋がっていたい。それら求めることの多さ。注文の多さばかりが目立つ。だからわたしは堅苦しいとか、息苦しいとか思ってしまう。わたしは失敗して覚えるくらいで丁度いいと思うタチだ。事前に調べたり予習したりするのは、楽しみを奪う行為である。ネタバレもいい所だ。人生のネタバレを食らうくらいなら無知で突っ込むくらいで怪我してから学べばいい、とすら思っている。大事なのはわたしの見たい、知りたい、やってみたい気持ちであって、失敗したくないという気持ちはない訳では無いが、失敗してもいい。それよりも挑戦できないことの方が機会損失だと思ったりする。

予習をしない。この事はわたしの生き方なので今更変えたりはしないけれど、分からないことを分からないままにしておくというのは、なんだかとても悪いことのように捉えられることも事実だ。いや、事実ではないのだが。そういうケースが多いという意味での事実。

わからないをわからないままにするという状態について考えてみる。分からないことがあった。それをわからないままにしたとする。その次に起きることは、失敗を繰り返す未来だ。分からないことを分かってから行動すればいいと思うかい?そうすると何をするにもワンテンポ、ツーテンポ遅れてしまい、結果としてチャンスをふいにすると思わないかい?
つまり、分からないことをわからないままにするというのは、分からないことに遭遇する前なのか、後なのかで違ってくると思うのだ。仮に遭遇する前ならわからないことは後回しにしてもいい。どうせ調べたところで答えに辿り着けるとは限らない。つまり、遭遇する前の分からないことの放置は処世術である。脳みその記憶領域を空けておくための予防策だ。と私は思っている。本番にならないとわからないことはたくさんある。下調べすることで有利になる世界は勝負の世界、ビジネスの商談、またはゲームだろう。リアルで人間を相手にする場合は、可能な限り下調べをしておくのがせオリィだからだ。しかし、これが分からないことに遭遇した後だとすると、とたんに雲行きが怪しくなってくる。つまり、偶然にも分からないことに遭遇した場合。なんとかその場は切り抜けたけれど、次にまた同じような分からないことに遭遇した場合、また同じところで悩んでしまう可能性が高い。それは最初に遭遇した時から何も変わっていないからだ。そして同じところで不安になったりする。それではせっかくの経験値が活かされずレベルアップできない。

つまり、分からないことを分からないままにする、という言葉には、相手の出方を様子見しつつ、下調べをし尽くしてもなおでてくる分からないことについては捨ておくというスタンスである。いざ未知と遭遇したときに、即座に回答ができるよう、知識や心には常に余裕を持って臨む、というのが言うまでもなく基本スタンスではあるのだが。

なんにせよ、分からないことは考えても仕方がない。分からないことに遭遇したなら対処すべきというのが、わたしの答えになる。予習を推奨する世の中にあって、なるべく遊び(余裕)を持たせるのは、情報深度か、自身の受け入れられる情報の余裕か? その究極の問は永遠に続く。

なーんてね。

MUSICAでした...♪*゚

書いてる途中で寝ちゃった。あるある。
また寝まーす。おやすみなさい。

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