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もしも、過去に戻れるのなら。

そう思ったことはないだろうか。過去に戻ってもう一度人生をやり直せたら。そんな妄想めいたことを考えたことは?

人生をやり直したい。そう思うことを、恥じていた。そう思わなくて済むように常に全力で、最善の選択をするのだと自分に言い聞かせた。それは確かに大切な考え方だろう。大切というか、ひとつの処世術。ぼくはそれを何度も何度も頭の中で反芻して、自分の中でこの感覚を当たりまえの物として獲得する修行をずっとしていたように思う。それこそ、「なんで後悔なんてするの?」と大真面目に人に聞いてしまうくらいには。

ぼくは、僕の感覚に自信を持ちたかった。自分の選択に絶対の自信を持ちたかった。それは、なぜだろうと考えたことはない。そういうものだからだ。だが、いま。考えてみようと思ったわけである。なぜ、そういう考え方に至ったのかを。

ぼくは、学生の頃、自分の本当に言いたいことを言えないジレンマを感じていた。これを言ったら笑られるに違いない、そんな風に感じていた。それは、きっと、異性を意識していたからだと思う。異性にモテたくて、これを言ったら嫌われるんじゃないかとかそういう感じ。それをずっと自分に課してしまった結果、自分が何を考えているのか?意見を言う事すら怖くなってしまった。そして、あらゆる現実に対して言い訳を考えるようになった。あれは仕方なかったんだとか、ここで何も言えないのはぼくのせいじゃないとか。ぼくは絶対に悪くないとか。そうやって現実に対して、いや、「現実のぼく」に対してセルフイメージを作り上げた。

ああ、まだぼくは物事の核心を言えていないな。先に結論を言おう。ぼくは高校の当時、とても気になる異性がいた。その子と話したくて、その子と仲良くなりたくて仕方なかった。いや、別に一人だったわけじゃない。そう、何人もいた。一人に決められなかった。だからこっちにこういう顔をしたら、あっちに怒られるとか、あっちをひいきしたらこっちに嫌われるとかそんなことを考えていた。まあ、その何人もという表現もややぼかしているな。具体的に言えば3人いた。その3人についてそれぞれにいい顔をしたいがあまり、ぼくは身動きが取れない人になった。

そうして3人に絞って(絞れてないやん)可能性を残し続けたことには理由がある。まず1つに自分に自信がなかった。だからなるべく可能性を全部潰すようなことはしたくなかった。いざ3人に断られたら嫌だからだ。そして次に、その3人とはそれとなく態度で僕の好意が伝わっていたからだ(これはぼくの妄想かもしれない)。だから、ちょっとしたそぶりを見せるとときに喜んだり、時にちょっと冷たくあしらわれたり、要は恋の駆け引き(のようなもの)をお互いにちょっとずつ楽しんでいた節があったのである。

そう書くと、ぼくがどんだけモテたプレイボーイなのか!と怒る人もいるかもしれないが、決してそんなことはない。ちょっと背が高くて、髪が長くて(結べるくらいあった)ミステリアスな文化部長という立ち位置のぼくに、世の中の女子たちがそれぞれに好き勝手に妄想していただけである。あとは、ぼくは姉が2人いることから、異性にちょうどよい距離感を撮ることができる当時としては稀有な存在だったことも付け加えておく。

やっぱり兄弟に、姉や妹がいるということは高校の恋愛市場においてかなりのアドバンテージがあると言えるだろう。逆を言えば、ただそれだけだったわけであるが(まあこれ以上自分を下げたくないのでこのくらいにしておく)。

おっほん。ついつい脱線してしまうな。冒頭に戻ろう。なぜ、僕は過去に戻れるのならというタイトルで記事を書き始めたかと言えば、とあるXのポストで、「小学生に戻って人生2週目を楽しんでいる男子小学生(中身は高校生)が、当時好きだった女子(高校生では振られた相手)をやっぱり好きになってしまい、どうやったら仲良くなれるのかを模索する」というマンガを見てしまったからである。その冒頭をサッと読んで、ぼくはこの願望はいままでにないなと気づいたと同時に、確かにこの気持ちはどこかで感じている潜在意識のそれかもしれないと思ったからである。

つまりはこうだ。ぼくは、高校生の頃に好きだった女子がいた。3人いた。その3人に共通して言える特徴がある。それはすべて幼い人だった。見た目が中学生っぽかったり、妹ぽかったり。そういう感じの人たちだ。一見すると高校生に見えないその人たちにとても引き付けられた。結論を言えば、その3人ともと付き合うことはできず、まったく関係ないところから告白された別の女子と1ヵ月くらい付き合っただけである。

何がいいたいのか?つまり、僕の中で、あの頃の3人を好きな僕がまだ残っているということである。あの頃の僕。高校生で幼い3人が好きだったぼくは、とどのつまり、小学校の頃に好きだった全く別の当時の女の子と仲良くしたかったのにできなかったのである。

その思いは今も残っていることに驚いた。そして、これは今も残っている。だが、最初にくぎを刺しておくが、ロリータ趣味ではない。小学生や高校生が好きなのではない。断じて。そうではなくて、当時好きだった気持ちがついに消化されず、そのまま不完全燃焼になっていることが、僕の心の中に残っているということだ。それは、端的に言えば、年齢が若い方がイイというものではなく、一番大切なのは「見た目が幼ない人がイイ」ということである。まあ、それはロリータ趣味ではない自分をどうにか正当化するための理論武装と言えなくもないが、だが、どう考えても、大人になったぼくが、子どもに何かを思う事なんて全くない。(高校生当時でもそれは同じだ)

だが、さきほどのXで見た漫画のように、もしも過去に戻れるのであれば、当時言えなかった言葉を、当時の女の子たちに言いたいと思ってしまった。それは僕が置き忘れた記憶の手紙を渡すような、忘れ物を取りに行くようなそんな行為というときれいすぎか。ここでも注釈したいが、いま、当時に好きだった女子に逢いたいということでは決してない。そこに恋心を燃やしたいわけではなく、当時の自分のあの果たされなかったおもいをなぜか癒してあげたい気持ちがあるということだ。そこに、ぼくが置き忘れたファンタジーがまだくすぶっていると思う。

一個前のnoteでも書いたが、ぼくが零の軌跡でティオというキャラクターが好きな理由は見た目が幼ないからである。決して16歳だから萌え~~!というわけではない。事実、年に相応しくない礼儀正しい態度がとても好きなのだ。まあ、そんなクールな彼女が時折見せる年相応の可愛さにグッときたこともまた事実ではあるが。(だからロリータ趣味ではない)

話を漫画に戻そう。今の知識や大人の落ち着きを持ってして、当時の女の子たちに好意を伝えたいという気持ちは本当だ。そうすれば変にこじれることなく、スマートに伝えることができたかもしれない。そう思うからだ。それこそが、ぼくが、後悔しない人生を自分に課している理由そのものである。

つまり、後悔しかなかった。後悔なんてもう二度としたくない。そう思ったからこそ、自分に、後悔しない生き方をこれほどまで強く課すことになったのである。それは人生の教訓のようなものであるが、でも、もしも過去に戻れるのであれば、その経験はしなくてすむ方法を選択したいと思うのだ。

そんなことはできないことはわかっている。だからこそのファンタジーなのだし、マンガになるわけだ。誰しも昔の失敗を取り戻したいと思うものなのだ。ぼくは、それを自分自身の禁止事項として後悔を封印してしまったのである。そこに一番の後悔があるのだけれど。

自分自身のパーソナルな性格を決めるのは過去の経験である。それをいまさら覆すことは容易ではない。とくに大人になってしまえばそれはなおさらそうだろう。まさに大人になってしまった僕にとって、あの頃の、好きだった子に対する言葉たち。誰にも届けることのできなかった言葉の洪水。それがいま、こうして自分自身を表現するための言葉を紡ぐ仕事に繋がっているのだから。

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