エッセイ : しあわせ

クリスマスでしたね、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
昨日は誰と過ごされたんでしょうか。誰とも過ごされてはいないんでしょうか。
僕という男はそろそろクリスマスだと気付いたときには12月26日になっておりましたので、その日の記憶はあまりありません。

もしかしたら新垣結衣さん並の美女と過ごし、幸せすぎて脳が処理落ちしてしまった可能性もあるので良いクリスマスを過ごしたんだと思います。

逃げる云々以前に、既に大恥な僕の頭ははたして役に立つんでしょうか。
星野源さんをほんの少し憎く思いつつ、本題に入りたいと思います。ぜひお付き合いください。

12月24日の朝、僕の友人からラインがきていました。文面は短いのですが、まるで哲学の問いのような深さがありました。

「hana、今幸せ?」

クリスマスイヴ、幸せ。僕は寝ぼけた頭でも彼の欲しい返事がすぐにわかりました。

「ちくしょうめ、そういうお前はどうなんじゃ」

「幸せだったらこんなラインしねえわ」

僕の想像ですが、彼の思考から推測するとこのような会話が繰り広げられることは明白でした(彼女がいないため)。ですが、イヴの朝っぱらからこんな卑屈な思考でいいのかと考えました。いつもなら彼の求める返事をして、この話題は雪と共に除雪されるはずです(上手くない)。

そこで、僕は幸せってなに?と逆に彼に聞いてみることにしました。はいそうです。面倒くさい男です。

すると彼はこう答えました。

「わかんない」

返事をするのに数分考えた僕に対して、彼は既読をつけてから数秒で返事をしてくれました。

幸せ。改めて考えると、幸せとはなんぞやとも思いました。
怪しい誘い等の口説き文句で使われる「幸せ」。男女関係で使われる「幸せ」。etc,etc...
使われる場面によって、幸せの形は様々です。

僕は少しの間、幸せについて考えていました。
そして、シャワーを浴びて、朝食の準備をしていたときに、あることを思い出しました。

そういえば朝ごはんが美味しかったとき、幸せだって思ったな。
そういえばライブが上手くいったとき、幸せだって思ったな。

その他にも、幸せだって思ったことはたくさんありました。どんなに些細なことでも、一瞬、僕は幸せになれたんです。
そして気づきました。

幸せだって思えた瞬間は、いつしか当たり前のことになってしまったんだ。

自分の生きている時間はどんどんと流れていきます。その中で幸せだと感じる瞬間は必ずあります。ですが、一瞬です。その一瞬が過ぎてしまえば、気に食わないことや嫌なことで視界が埋まってしまい、幸せだと思えた瞬間も忘れ、当たり前なことと扱ってしまうのです。

当たり前になっている、かつて幸せだと思えたことはたくさんあります。食事ができる、安心して眠れる、学校にいける等、生活の中の色んなことに言えます。友達がいて、家族がいて、支えてくれる人がいるから僕らは生きていけるんです。

それをすべて当たり前のことにして、自分は不幸だと言うのは少し欲張りすぎるとも思います。

ですが、それらを幸せと感じられないことも仕方がないと思います。所詮は綺麗事です。それだけで心が満たされていれば苦労はしてません。

ではどうするか、幸せを見つけていくしかないと思います。
ないのなら探せばいい。不幸だからという理由で幸せが来るのを待つのは間違っていると思います。

ただ気が落ち込んで、どうしても動けないときには、近くにある当たり前に目を向けてみてください。綺麗事だとしても、僕らを支えてくれることには変わりはないですから。

朝の朝食を済ませて、僕は彼にこの考えを長々と説明してみました。
するとまた数秒で返事が来ました。

「うるせえクリボッチ。」

その通りです。ですが、僕はもうこんな心ない一言に傷つけられたりしませんよ。
近くにある幸せを感じているからね!

これ以上にない完璧な返事をいただいて、返す言葉もなく、僕はこう思いました。

もっかい寝よう。
夢の中なら彼女いるかもしれんし。

結局、人の心を満たすのは、愛と睡眠であると思いました。

おやすみなさい。

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