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2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』あらすじ&感想(第10回「ひとりぼっちの若君」)

■あらすじ

京を訪れていた旅芸人の一座のもとで、駒(門脇 麦)は戦災孤児だった自分を拾い、育ててくれた女座長・伊呂波太夫(尾野真千子)と再会する。その年の末、今川義元(片岡愛之助)が尾張の国境に侵攻してくる。信秀(高橋克典)のもとに人質として置かれていた三河松平家の嫡男・竹千代(のちの家康)の引き渡し要求に、道三(本木雅弘)は広い三河を今川に押さえられることに危機感を覚える。光秀(長谷川博己)は帰蝶(川口春奈)を通して動向を探るべく那古野城へ遣わされたところ、信長(染谷将太)と出会う。

■トリセツ

織田信長と信広の関係は?
天文18年(1549年)11月。尾張との国境近くにある安城城で国境を守っていた織田信広は、今川軍の標的となり攻め込まれ、城は落ち、捕らえられました。
そこで今川義元は、織田信秀の息子<信広>と三河を治めていた松平広忠の嫡男<竹千代>との人質交換を申し出て、三河を掌握しようと企てました。

■大河紀行 愛知県岡崎市・名古屋市

愛知県岡崎市。松平家の嫡男・竹千代は、岡崎城内の坂谷邸(さかたにてい)で生まれました。母親の於大(おだい)の方は、竹千代を産むとまもなく離縁され、幼い竹千代は、母親と離れ離れで暮らすことになりました。

旧東海道の宿場町、本宿(もとじゅく)。ここに松平家の菩提寺(ぼだいじ)、法蔵寺があります。竹千代は、この寺で、松平家の後継者としての教育を受けたと伝えられています。

幼くして織田家の人質となった竹千代は、熱田の豪商・加藤図書助(ずしょのすけ)の屋敷・羽城(はじょう)に幽閉されました。

三河をめぐる攻防の中、人質として翻弄される竹千代。やがて、天下人・徳川家康へと成長を遂げていくことになるのです。



1.京都にて


 ──先生、私、駄目みたいです。(by 駒)

 そう言い残して出ていった駒を望月東庵は探します。まさか、自殺はしないと思うが・・・。
 駒は女座長・伊呂波太夫と再会しました。炙り餅が美味しそう。(「炙り餅」といえば、今宮神社前の「かざりや」と「一和」ですよね。)伊呂波太夫は、戦災孤児・駒を連れてきた人の家紋は「桔梗」だと覚えていました。

 ──ではもう、どういうお方か、分かったも同然ね。(by 伊呂波太夫)

いえいえ、「桔梗」紋といえば、土岐氏の家紋ですから、絞られはしたものの、範囲は広い。駒は明智氏だと思いこんで感動してましたけど。明智家は土岐家の分家ですから、家紋は「桔梗」ですけど。駒を助けた「大きな手の人」は明智光秀の父親でしょうけど。
 以上、京都・駒パート。ここまで開始から15分5秒。長い・・・。

2.天文18年11月 安祥合戦とその後


 今川義元が三河国へ侵攻し、安祥城(安城城)を攻め、城番の織田信広(織田信長の異母兄)を捕えました。地元の伝承では18歳です。織田信長は16歳ですから2つ上ですが、実際はもっと歳が離れていたようです。
 また、史実は、今川軍が安祥城に乗り込んで生け捕りにしたのではなく、三之丸、二之丸を落とし、本丸を取り囲み、大手門から「おとなしく出てくれば命は助ける。城兵も助ける」と大声で叫んだところ、出てきて捕えられたそうです。城主なら「私が切腹するから、城兵の命は助けてくれ」と言うのでしょうけどね。

 今川義元は、尾張に人質として置かれている安祥松平広忠の嫡男・竹千代と織田信広の人質交換を提案してきました。

(1)尾張国・織田家の対応(末盛城にて)

織田信長「人質を取り替えるなど同意できませぬ。竹千代殿は三河の主殿の若君。それを今川に渡すなど、尾張の命運に関わりまする」
織田信秀「信広は、腹違いなれど、そなたの兄ぞ。みすみす見殺しにはできぬ」
織田信長「兄上は戦下手(いくさべた)故、捕えられた、自業自得ではありませぬか。捕えられる前に腹を切るべきであった」
織田信秀「信広は、絶えず国境を守ってくれていた。今川の標的となり、苦労させたのじゃ」
織田信長「父上は、病(やまい)により、弱気になっておられる。この信長、竹千代殿を我が城に留め、何人にも渡しませぬ。そのおつもりで」

 竹千代は、熱田羽城(加藤図書屋敷)から、那古野城の南の万松寺(現在は大須に移転)の天王坊に移されました。なぜ天王坊に移されたのか謎(一説に「人質交換の準備」)でしたが、こういう理由(わけ)だったのか!?
 「尾張の虎」と恐れられた織田信秀は優しくなったようです。(斎藤利政には猫にしか見えない程度にまで弱っていたようです。)病気のせいでしょうか? (薬を白湯で飲んでいましたが・・・当時の薬は煎じ薬で、薬湯を飲むものだと思ってました。)

(2)美濃国・斎藤家の対応(稲葉山城にて)

斎藤利政「このことは巡り巡ってこの美濃にも波が及ぼうはず。松平竹千代はまだ幼いが、三河の松平家を継ぐ者。これを今川に渡せば、三河は全土を今川に支配されたも同然。そうなれば、三河の隣国・尾張は、虎の側で暮らす猫のようなものじゃ。ひとたまりもなく」
明智光安「食い殺されますなぁ」
斎藤利政「我等はその猫と盟約を結んだ国じゃ。猫を守る時、虎と戦うことになる」
明智光安「思うだに、身の毛がよだちまする」
斎藤利政「信秀殿が、我が子・信広殿を助けるため、竹千代を今川に渡すようなら、我等は盟約を考え直さねばならん。そう思わぬか? 十兵衛」
明智光秀「信秀殿が、我が子を見殺しにいたしましょうか?」
斎藤利政「見殺しに出来るようなら、信秀殿はまだ見どころがある。十兵衛、尾張へ行き、成り行きを見て参れ。すぐに行け~。ぐずぐずするな」
明智光秀「鬼め! 命がいくらあってもたぬわ!」

あれ? 以前、斎藤利政は「織田信秀のことなら寝屋のことまで知ってる」と言っていたはず。明智光秀に偵察させなくても、スパイや帰蝶に手紙で聞けるはず。

3.那古野城にて


 こうして、明智光秀は、帰蝶を通して動向を探るべく那古野城へ遣わされ、それを察した帰蝶が「まずは、上がれ」と言った時、タイミング悪く、「走るイノシシを鉄砲で仕留めた」と上機嫌で狩りから帰ってきた織田信長と出会ってしまいました。帰蝶は、明智光秀を、「先日、殿から鉄砲の撃ち方を教えていただいた折に・・・」と紹介していましたが、この「先日」も、次の竹千代と織田信長との会話もちょっとね。「先日」って2月のことで、今は11月なんですから。

織田信長「その方、どこぞで会うたことがあるなぁ。熱田の海辺ではなかったか? 儂は一言でも話した相手を忘れぬ。あそこで何をしておったのじゃ?」
明智光秀「ある御方に命じられ、信長様のお姿を拝見するため、舟のお帰りをお待ちしておりました」(正直すぎるだろ。)

 ──竹千代登場。

 ここで「干し柿の人」と言われたら詰んだが、真っ直ぐ前の織田信長だけを見つめる竹千代の視界に明智光秀は入らなかった。

ここからの織田信長と竹千代の会話が凄かった。
この竹千代、到底「童(わらべ)」とは思えない。
太原雪斎に学ぶ以前にこの状態──法蔵寺で帝王学を身につけたようだ。
将棋の対戦というより、狂気と狂気のぶつかり合いに見えた。

竹千代「館へ戻られたとお聞きしたので参りました。昨日、これをやろうとお約束いただきました。よろしければ、お手合わせ願います。『今は無理』と仰せなら、また、後で参ります」
織田信長「今も、後も、そなたとは将棋はもうやらぬ」
竹千代「何故ですか?」
織田信長「童(わらべ)とは将棋はやらぬことにしたのじゃ」
竹千代「負けるのが嫌だからですか?」
織田信長「ふっ。たわけ」
竹千代「このところ、前のように遊んでいただけません。何故ですか? 近習の者が申しておりました。信長様が、私の父・松平広忠を討ち果たしたと。そのことで、私にお気遣いしておられるのですか? もしそうなら、それは無用なことでございます。父上は母上を離縁し、岡崎から追い払い、今川義元に付いたのです。私は大嫌いでした。それ故、討ち果たされても、致し方ないことと思うております。」
織田信長「分かった。駒を並べよ」
竹千代「はい」
織田信長「ひとつそなたに聞きたいことがある。今、儂の兄上が今川の人質になっておる。その兄上とそなたを取り替えるという話がある。儂は不承知じゃ。そなたを今川へ行かせたくはない。しかし、迷いはある。この話を潰せば、兄上は斬られる。迷いはある」
竹千代「今川は敵です。いずれ討つべきと思うております。しかし、その敵の顔を見たことがありません。懐に入り、見てみたいと思います。敵を討つには、敵を知れと申します。信長様がお迷いなら、私はどちらでも構いませぬ」

 今回のMVPは竹千代ですね。「童とは将棋はやらぬ」と言う織田信長に「童ではない」と言い返したら「そういうところが童じゃ」と言われます。落ち着いて、「童ではない」という言葉を使わずに、「童ではない」ということを織田信長に示し、織田信長も「童ではない」と認めて「駒を並べよ」と言い、「(明智光秀に向かって)居て構わぬ。帰蝶も居よ。昨日からこの城に入った松平の若君じゃ。気遣いは無用ぞ」と言っていた明智光秀と帰蝶を「すまぬが座をはずしてくれ」と追い払い、「人質交換」の話(政治談義)という「(童には早すぎる)大人の話」をしました。
 これって、もしかして、「桶狭間の戦い 松平元康寝返り説」(松平元康(竹千代)は、表向きは今川方の武将として参戦した「桶狭間の戦い」では、今川義元の兵糧を奪い、今川義元の所在地を織田信長に知らせて織田軍の勝利に貢献したとする説)の伏線では???

 ある人がSNSに「「ひとりぼっちの若君」って、ドラマを見る前は、人質の竹千代のことだと思っていたけど、実は織田信長も「ひとりぼっちの若君」なのでは?」と書き込んだら「そうだネ!」と絶賛されていましたが、すぐに数百個の「いいね」がついていましたが、そうなの? 「ひとりぼっちの若君」って人質の竹千代のことですよ。織田信長は両親に疎まれているかもしれない。兄弟に疎まれているかもしれない。でも、「ひとりぼっちの若殿」ではないです。なぜなら、帰蝶がいますから!!!

 戦国時代、親子は別々に暮らし、守役(織田信長の場合は平手政秀)が育てました。これは、我が子を愛してしまうと、人質に出す時に辛いからだとか。(別れがどんなに辛くても愛してやれよと言いたい。)織田信長は、親の愛に飢え、母親に褒められたい、皆に喜んで欲しいから魚をとる。それが彼の行動基準。
 プレゼント魔? 父には松平広忠の首、母には巨大魚、妻には花(ヒメジョオン? 初夏の花だけど。今は11月。新暦だと12月で、野に花は咲いていないと思うけど)、明智光秀には宿泊費(那古野城に泊めてくれないのか? 今夜は猪鍋でしょ?)。
 心理学では「承認欲求」というのでしょうか? 私にしても、こうして無料のブログ記事を書いてもお金が入るわけではない。お金のためではなく、皆に認められたい(スキやコメントが入ると嬉しいから)書き続けている。でも、入らない・・・孤独なんだ。ひとりぼっちなんだ。

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