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原文&現代語訳『明智物語』第17節「光秀信長幕下に属する事」

 其の後、土岐、遠山は主なき小田の荒れ地と成りて、落ち葉高く埋めども、道を払へる者もなく、月光、池を照らせども、出て詠むる人もなし。明智を抱え持つべき力もなく、自然と信長の支配とぞ成りにける。
 光秀独りは、風に放さる捨て小舟。別れ別れに遠近の遣る方もなき身と成りて、浪の寄辺を便りにて、信長公の幕下にて属せたれける。
 角て、光秀公、思はれけるは、「土岐をば愛菊を落としたりとなんほの聞こへしが、何国にありとも知らざりける。年月経つぬれば、成長しさむらはん。定明の御子なれば、最も懐か敷く侍れば、尋ね見ましく欲する」と、長臣などには語り給ふと也。

土岐明智頼明┬土岐郷:土岐定明─土岐定政(幼名:愛菊丸)
      ├遠山郷:遠山定衡
      └明智郷:明智光秀(養子)

【現代語訳】 土岐郡土岐郷の支配者・土岐定明、恵那郡遠山郷の支配者・遠山定衡が亡くなると、土岐郷や遠山郷は、支配者無き故、荒れ果てて、落ち葉が高く積もったが、道の落ち葉を掃き払う者はいなかった。月の光が池を照らす風流な夜にも、誰も和歌を詠む者は出てこなかった。明智郷を支配できる実力者もおらず、自然と織田信長が支配することになった。
 明智光秀だけは逃げ出したものの、風に揺れる捨て小舟のように、頼れる人も遠近バラバラに散り、波に任せて漂着した小舟のように、織田信長の家臣となっていた。
 こうして明智光秀が思うことは、「愛菊丸は、土岐郷から落ち延びたと聞いているが、どこで暮らしているのやら。年月が経っているので、大きくなっているであろう。義兄・定明の子(甥)であるから、最も懐しい人物である。会ってみたいものだ」と長老たちに話していたという。


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