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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第1回【明智光秀とは何者か】

3月31日からNHKカルチャーラジオ 歴史再発見 小和田哲男「明智光秀の実像に迫る」が始まりました。30分X14回=7時間の講義が無料で聞ける(NHKはTVは有料だけど、ラジオは無料)という素晴らしい企画です。

★カルチャーラジオ 歴史再発見 小和田哲男「明智光秀の実像に迫る」
https://www4.nhk.or.jp/P1927/

長所は、聞き逃しても、(第1回【明智光秀とは何者か】の場合は、5月27日15:00時まで)いつでも聞けるということ。

★第1回【明智光秀とは何者か】
3月31日(火)午後8:30放送
2020年5月27日(水) 午後3:00配信終了
https://www4.nhk.or.jp/P1927/28/

短所はガイドブックが無いということです。

★カルチャーラジオ 歴史再発見 ガイドブック
https://www.nhk-book.co.jp/list/textcategory-33023.html

最近は、「音声→テキストアプリ」があるので、文字起こしは楽なのですが、全文載せると著作権違反で訴えられそうなので、要約(レジュメ)で。


小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第1回【明智光秀とは何者か】

要旨

(1)1次史料にみる明智光秀の正体

・明智光秀に関する史料は少ない。=江戸時代に消された(証拠隠滅)
  ↓それでも、全く無いわけではない。
 ①『立入左京亮入道隆佐記』「美濃国住人ときの随分衆也」
   ・「随分」は、「かなりの」「相当の」の意味か?
 ②『遊行三十一祖京畿御修行記』「惟任方もと明智十兵衛尉といひて、濃
   州土岐一家牢人たりしが、越前朝倉義景を頼み申され、長崎称念寺門
   前に十ヶ年居住」
 ③ルイス・フロイス『日本史』「信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛
   明智殿と称する人物がいた。彼はもとより高貴の出ではなく、信長の
   治世の初期には、公方様の邸の一貴人、兵部太輔と称する人に奉仕し
   ていたのであるが、その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受
   けることになり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた」
   ・公方様=足利義昭、兵部太輔=細川藤孝
   ・明智光秀が細川藤孝の家臣とするのは誤り。(ただし、『多聞院
    記』にも「細川兵部太夫の中間」とある。)
光秀自身はというと、
 ④『家中軍法』(天正9年6月2日)「瓦礫沈淪之輩」
  →本人は「ゴミのような身分の出」と自覚していた。
  →土岐一族「明智家」の人間だが、「牢人」していた。
  →名字を持てない階層=土豪、地侍(兵農未分離)ではなく、
   明智家は、国人領主、国衆(専業武士)である。

(2)幕府奉公衆「明智家」

①『文安番帳』(1444-1449)外様「明智中務少輔」
②『長享番帳』(1487)四番「明智兵庫助」「明智左馬助政宣」
③『東山番帳』(1492-1493)四番「明智兵庫頭」、外様「明智中務少輔」

「番帳」(幕府の諸役を務めた番衆の名簿)に名前がある人
=京都に「奉公衆」(将軍の直臣)として詰めていた人
・明智中務少輔(政宣の父?)
・明智兵庫助(→兵庫頭)光高(頼宣、頼連)入道玄宣
・明智左馬助(→中務少輔)政宣
の3人と明智光秀とは関係がありそうだが、どういう関係であるかは不明。
→明智光秀は明智家の人間ではないが「明智と詐称した」説は誤りかと。
→先祖は奉公衆として京都にいたので、明智光秀は、文化人、教養人。

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