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2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』あらすじ&感想(第25回「羽運ぶ蟻」)

■あらすじ

覚慶(滝藤賢一)は還俗(げんぞく)し、足利義昭を名乗る。しかし受け入れを希望する越前・朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)の態度が決まらず、近場で立ち往生を余儀なくされていた。一方、信長(染谷将太)は長きにわたる斎藤龍興との戦に勝ち、ついに美濃を平定する。かつての家臣・伝吾(徳重 聡)から文が届き、光秀(長谷川博己)は母・牧(石川さゆり)を連れて、なつかしい美濃へと旅をする。訪ねた岐阜城で「何のために戦っているのかわからなくなった」と言う信長に、光秀は「上洛して新しい将軍と幕府を再興すれば、武士が誇りを持てる平らかな世になりみんなが喜ぶ」と言う。しかし肝心の将軍候補・義昭の評を信長から聞かれると、光秀は口ごもってしまうのだった。越前に戻った光秀を、なんと義昭が待ち構えていた。

■トリセツ

①永禄9年(1566年)、覚慶は還俗(げんぞく)して足利義昭(当初は義秋)と名乗る。朝倉義景を頼って越前に向かうが、態度のはっきりしない義景により敦賀に留め置かれる。
②永禄10年(1567年)8月、織田信長は斎藤龍興の稲葉山城を攻略。美濃を平定し、稲葉山城に入る。
③永禄11年(1568年)2月、三好勢が担ぐ足利義栄が14代将軍に就任する。

■大河紀行 岐阜県岐阜市

岐阜県岐阜市。美濃を攻略した織田信長は、義理の父・斎藤道三が築いた稲葉山城に入りました。焼失した斎藤氏の居館(きょかん)跡を造成・大改修して造られた信長の館には、いくつもの庭園があったといいます。

中でも自然の岩盤を生かした庭には、滝も流れていました。地上の楽園ともいわれた居館は、特別な客人を迎える迎賓館でもあったのです。

長良川の鵜飼いを接待の場として用いた信長は、漁師に「鵜匠」という名称を与えて保護したといいます。さらに、新しい町づくりを行い、道三が築き上げた「井ノ口(いのくち)」と呼ばれたこの地を、中国の故事にちなみ、「岐阜」と改名しました。

美濃の新たな主(あるじ)となった信長は、この地を拠点に上洛を目指すのです。


※『福井県史』(通史編2 中世)「義昭の越前逗留と上洛」
 朝倉氏の最後の当主義景の代も末になると、越前は天下統一の大きな動きに巻き込まれていった。永禄八年(一五六五)五月、三好三人衆らの謀叛により将軍足利義輝が殺された。この義輝の弟が最後の室町将軍となる足利義昭である。義昭は諸国の大名を頼って将軍として天下に号令しようと考え、そのために越前にも二年近く逗留したが、結局織田信長を頼って上洛を遂げた。その後の信長の天下統一事業の推進と義昭の動向は、朝倉義景の家を滅亡へと導くのである。
 足利義昭は義輝暗殺当時、大和興福寺の一乗院門跡で覚慶といった。覚慶は将軍位の後継者とみなされ、母方の叔父大覚寺義俊の補佐により、朝倉義景と連絡して三好三人衆の手の及ぶ大和を脱出し近江に向かった(『上杉家文書』)。朝倉義景は義俊や覚慶の縁者にもあたり、特にたびたび越前に下向した義俊は深く義景を信頼していた。覚慶は還俗して義秋と名乗り、近江から若狭を経て永禄九年九月敦賀に入った(同前)。義俊と義秋は早くから義景のほか若狭の武田義統や尾張の織田信長にも協力を要請しているが、遠く越後の上杉輝虎に期待するところが大きかったといわれる。義秋は輝虎の上洛を促進するために相模北条・甲斐武田との三者和睦を命じ、加賀一向一揆と越前の和睦を本願寺顕如に命じた。だが朝倉氏の内部では、同十年三月に坂井郡の有力国人堀江氏が加賀一向一揆と結んで義景に謀叛をおこすなど安定を欠いていた。しかし同年冬ようやく加賀一向衆と朝倉氏の和睦が実現する運びとなり、十一月二十一日義秋は敦賀から一乗谷へ移った(「越州軍記」)。
 義景は義秋を盛り立て、翌十一年四月に朝倉館において元服の儀を挙行した(「越州軍記」、「朝倉義景亭御成記」など)。このとき義秋は義昭と改名した。五月十七日には義景は朝倉館に義昭の御成り(訪問)を迎ぎ、義昭を将軍になぞらえて盛大な宴を催した(同前)。義景の歓待により義昭は越前滞在を続けたが、越後の上杉輝虎は武田信玄との対立によりいまだ越中を攻めあぐんでいる状態であった。義昭はこうした北国の状況に見切りをつけて一乗谷を去り、翌十一年七月美濃へ向かった。織田信長はこの前年に美濃を攻略し、小牧山から井口に移ってこれを岐阜と改称した。義昭は信長が上洛に最短距離にあると判断したのである。信長はただちに江南の六角氏を制圧して義昭を上洛させ、畿内の三好三人衆方の諸勢力を平定して、同年十月義昭は晴れて征夷大将軍になった。
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-04-04-01.htm


「羽運ぶ蟻」──1シーンを小タイトルにするという手法は好きです。
「義昭の動座」「敦賀の義昭」よりもいいです。
難を言えば、「羽運ぶ蟻」にしろ、「義昭の動座」「敦賀の義昭」にしろ、足利義昭の話ですので、主人公の話にして欲しいものです。「明智荘への帰還」「光秀の苦悩」「光秀の選択」とかね。

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