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小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第5回【越前時代の光秀を探る】

小和田哲男『明智光秀の実像に迫る』第5回【越前時代の光秀を探る】

斎藤道三と息子義龍が戦った「長良川の戦い」(1556年)で道三が討ち死に。道三側についていた光秀は、土岐氏・斎藤氏と姻戚関係にあった朝倉氏を頼って越前へ逃れました。光秀はすぐに朝倉氏に仕えたと伝えられてきましたが、新たな資料が出てきたことにより、その前に「空白の10年間」があることがわかりました。光秀はその間何をしていたのか?今回は、新資料をもとにその謎を探ります。

要旨

(1)『明智軍記』の記述から

「光秀、理に服し、辞するに処なふして、一族を相伴ひ、涙と共に城を出て、郡上郡を経て、越前穴馬(あなま)と云ふ所を過ぎ、偖(さて)、国々を遍歴し、其の後、越前に留まり、太守・朝倉左衞門督義景に属して五百貫の地をぞ受納しける。」(『明智軍記』)
明智光秀は、理解し、断る理由も見当たらず、明智一族を連れて、泣きながら明智城を出て、郡上郡(現在の岐阜県郡上市)を通って(油坂を越え)、越前国の穴馬谷(福井県大野市。現在は九頭竜川のダム建設により水没)に妻子を残して、国々を遍歴し、その後、越前国に戻って留まり、国主・朝倉義景の家臣となると、500貫の知行地を与えられた。

美濃国と越前国は「遠く離れている」のではなく、実は隣国!

①峠(油坂峠、温見峠、高倉峠、冠山峠)を越えれば、そこは越前国。
・冠山峠(岐阜県揖斐郡揖斐川町塚〜福井県今立郡池田町楢俣)
・高倉峠(岐阜県揖斐郡揖斐川町塚〜福井県南条郡南越前町瀬戸)
・温見峠(岐阜県本巣市根尾大河原〜福井県大野市温見)
・拝星峠(岐阜県本巣市根尾大河原〜福井県大野市下秋生)
・油坂峠(岐阜県郡上市白鳥町向小駄良〜福井県大野市東市布)
・橋立峠(岐阜県郡上郡白鳥町石徹白〜福井県大野市上打波)
『明智軍記』には、明智光秀は油坂峠を越え、斉藤竜興は拝星峠(幕末に水戸藩の天狗党が越えた峠として知られる峠)を越えて越前入りしたとある。

②美濃国の守護・土岐氏、守護代・斎藤氏と越前国の国主・朝倉氏は姻戚関係で結ばれ、心理的にも近い。
・例1:土岐頼武室は、朝倉貞景の娘で、生まれた土岐頼純の室は、斎藤道三の娘(『麒麟がくる』では帰蝶と比定)である。

 土岐政房┬頼武─頼純
     └頼芸

・例2:大桑城下の「越前堀」、大桑城の石垣の積み方
・例3:十五社神社の狛犬は、越前足羽山産の笏谷石製
    銘「天文九庚子年/奉土岐氏神」
に越前国との交流が見られる。

(2)『遊行三十一祖京畿御修行記』の記述から

「惟任方、もと明智十兵衛尉といひて、濃州土岐一家牢人たりしが、越前朝倉義景頼み申され、長崎称念寺前に十ヶ年居住」(『遊行三十一祖京畿御修行記』)

越前国へ行ってすぐに朝倉義景の家臣になったのではないらしい。
10年間も浪人して、妻子や一族をどう養っていたか?

①医者(早島大祐『明智光秀 牢人医師はなせ謀反人となったか』)
 ・小和田氏反論:医師であれば食べていけるが「牢人」とは言わない。
②寺子屋の先生(小和田氏説)
 ・寺子屋は江戸時代に成立したものであるが、弘治元年7月の文書に
「宗幸 是は旅僧にて御座候。在所にいとは字にても候」(刀祢仁吉文書)
とあり、旅の僧に声をかけては、読み書きを教えてもらっていたことが分かる。(ちなみに「刀祢」は『明智軍記』にも登場する。)

その後、明智光秀は、寺子屋の先生から朝倉義景の家臣となると、500貫の知行地と鉄砲寄子100人を与えられたと『明智軍記』にあり、これは重臣待遇であるが、朝倉氏の家臣一覧にその名は無く、屋敷も一乗谷の外の東大味である。

・明智神社(通称「あけっつぁま」):明智光秀の屋敷跡。天正3年(1575年)、柴田勝家が加賀一向一揆を鎮めるために、東大味に兵を送り込もうとしたが、明智光秀は東大味の住民を守るよう柴田勝家に申し入れをした事を喜んだ住民が明智光秀を祀ったと伝えられている。

③「渡り奉公」説:三河国牛久保城(豊川市)にいたという。
「日向守、渡り奉公の内に、三河牛久保、牧野右近大夫所に仕へし時、知行は百石計也。傍輩・中野某に日州語るは、「侍の行末は、互ひに知れぬもの也。もし、我等、一城の主となりたらば、被官も欲しかるべし。貴殿は頼もしき人にて候間、我等方へ呼び候て、城代とすべし。貴殿、立身せば、我等、又、被官とならん」と約束したり。日州、後に丹羽拝領の時、中野を呼びて、亀山の城代とす。」(松浦鎮信『武功雑記』)
・亀山城代は存在せず、亀山城主は明智光慶だと思われます。

・新史料『針薬方』(米田家文書)
「明智十兵衛尉高嶋田中籠城」(滋賀県高島市の田中城に篭城)
 →細川藤孝とは、越前国で会う前に会っていた可能性がある。

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