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学力なんて、測れません。DONYORI CAFE通信❲#010❳

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本日のご相談です

テストの点が悪くて、親に叱られた。もう自分はダメなのかも…。

模試が全然できない。立ち直れない……。

どうしたら……?


学力と置かれている状況

 全国テストなどでいちいち一喜一憂する必要はなく、それを真に受け入れる必要もないと感じる。ただ一つの指標として、軽く認知するだけで良いと思う。学校がある本来の目的は、社会に出て、職を得て、一般知識を備え、人との関りを持ち、生きていくために必要な集団生活の仕方などを教えるということである。しかしながら現代の学校はテストで良い点を取らなければいけない、上位にならなければならないと、どんどん洗脳されていくところと化してしまっている。
 そもそも私は、学力を測るということは今の世の中ではできないと確信している。一人一人子供たちの立ち位置が違うからである。ある子は、塾に通っていて、ある子は塾に通っていない。それだけでも大きな差である。母子家庭で、周りの子たち以上に家事などに時間を割かなければいけない子、上に兄弟がいて常にわからないところを聞ける状況にいる子、両親が共働きで、下に兄弟がいて自分の時間確保が難しい子など、色々な立ち位置の子がいる。条件が根底から違う学力測定は、何も意味がない。特に小学生は、環境に左右される割合が高いため、全国学力テストなどなおさら意味がない。少なくとも日本の学校は、まるで子供たちに狭い世界で生きることを提案しているかのように見える。「いくら頑張っても、残念ながら結果を出さなければ意味がない。」と言って聞かせる教員は、教える立場の人間ではない。確かに大人になれば、過程よりも結果が重要になってはくる。しかし、子供たちには、結果が失敗しようが成功しようが、どちらでも良い。その過程において、学ぶことが多くある。学力テストを沢山やらせ、成果を出させようとする前に、学校はそのような「過程」の経験を数多くさせようとすることのほうが、何十倍も良いことであると強く思う。

出来る範囲の努力は大切

 だからと言って、成績が伸びないわけでも、自分の「学力」という名のものの位置が、最初から決まっていて変化しないというわけではない。粘り強さや、自分なりの努力の仕方を模索するためにもやり続け、出来る範囲で勉学に励む必要がある。直接的に成績につながらなかったとしても、違う所で活かされたり後になって効いてきたりする。だから、「周りと比べて」学力がナンチャラというのではなく、諦めずに努力し続けることが大切だと思う。一緒に努力する仲間を大切にしながら、他者との比較で自身の成績を見るのではなく、将来の自分を見据えながら、未来像から逆算する努力を続けることこそが一番の理想像であると思っている。

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