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役に立とうとしないで #2000字のホラー

医者の診断書をもらい、休職してから一か月。
夫婦共働きで子供はいないし、妻の収入があれば、生活に困ることはなかった。
家事の分担は、妻は嫌な顔一つしないで今まで通りに折半してくれた。
とはいえ、家にいても暇だし、細々とした家事はできるだけするようにしていた。
もともと妻のほうが要領はよかったし、それがかえって足を引っ張ることになってしまっていたらしい。
多少自覚はあったが、がんばっているのだから、感謝はされていると思っていた。
しかし、それは自分の独り相撲だったらしい。

「あなたは役に立とうとしなくていいから」
ある日、そう妻に告げられた。
カッとなって、手近にあった凶器で妻の頭部を殴ってしまった。
打ち所が悪かったのか、妻は起き上がらなかった。

何ということをしてしまったのだろう。
いや、でもあまりに言い方がひどいじゃないか。
役に立たなくてもいいだって?
人のことを役立たずみたいに……。

パニックに陥った俺は、親友に電話した。
「わかった。とりあえずそっちに行くから、余計なことはするなよ」

スマホを窓に叩きつける。
がしゃん
窓ガラスが割れ、破片で頭が派手に切れて血が噴き出した。
スマホは砕けた。

アイツまでそんなことを言うのか。
余計なことはするなよ、だと?
バカにしやがって。
何が余計なことだ!
俺だって一生懸命やってるのに!

部屋を飛び出す。
隣のおばさんがいた。
血に汚れた俺を見て、叫んだ。

「きゃあ! 血が出てますよ。動かない方がいいですよ」

俺はおばさんの顔面を殴った。

動かない方がいい、だと?
どいつもこいつも、俺が何もできないデクの棒だと思っていやがる。
俺だってやればできるんだ。

マンションを出ると、警官が走ってくるところだった。
さっきのおばさんが通報したのか。

「止まりなさい! 抵抗はやめて!」

止まれ、だと。
抵抗するなだと。
何故みんな俺を否定するんだ。

どうせ撃ったりはしないだろう。
お前らのほうこそ、何もできやしない。
警官に背を向け、俺は走り出した。

「あ、おい! 待て!」

待つもんか。
お前らの言いなりになってたまるか!

近所の公園まで来た。
毎朝の日課で散歩に来ている場所だ。

「すいません、火ぃ貸してもらえませんかね」
このあたりでよく見かけるホームレスが声をかけてきた。
「ここは禁煙だ!」
怒鳴って立ち去る。

走り続けて、河原まで来た。
裸足でパジャマ姿という目立つ格好で、周囲の目が集まる。
異物を見る目が責める。
ここにも俺の居場所はなかった。

一体どこに行けばいいんだ。
何でもいいから、誰でもいいから、必要とされたい。
誰かの役に立ちたい。
そうしないと、自分の存在が消えてしまいそうだった。

「何かお困りですか?」

振り返ると、ニヤニヤ笑ったスーツの男が立っていた。

「助けを必要とされていると、お見受けしました」
「助けが欲しいんじゃない。助けたいんだ」
「素晴らしいお心がけです。あなたのような方を探していました。私は半田と申します」

半田は名刺を渡してくる。

『新興宗教 救世主万歳教』

「なんだこれ」
「みなさん最初はそうおっしゃいますが、ちゃんとした団体なんですよ」

訝しく思いながら、俺は半田について車に乗った。
連れてこられたのは、宗教様式ごちゃまぜの真新しい建物だった。
中に入ると、意外と人が多い。
すれ違うと振り返る奴もいるが、みな平然とした反応だ。

談話室に通され、サーバーからお茶を出される。
一口飲むと、居心地がいいと思ってしまった。
少なくとも、外にいるよりはずっといい。
存在を許されている感覚に包まれる。

俺は、半田に事情を話した。
「……そういうわけで、警察に捕まるのは避けられないだろうな」
「なるほど。でも、ここに警察は来ませんよ。宗教施設は彼らも遠慮しますから」
「そうなんですか」
「信仰の自由は憲法で保障されていますからね」

それから数時間は話しただあろうか。
半田は遮らずに話を聞いてくれた。
しまいには、彼とずっと前から親しかったような感覚になっていた。

半田は車で家まで送ってくれた。
妻は頭に包帯を巻いていたが、生きていた。
心配していたと、許してくれた。
一緒に隣のおばさんに頭を下げてくれた。

診断書があったこともあり、とりあえず警察沙汰は避けられた。

俺が半田のことを話すと、妻は愕然とした。
「どう見ても怪しいじゃないの」
「そうだけど、いい人たちだったし、施設の中は居心地もよかったよ」
「そういうのが手管なのよ」
しかし、もう妻が何を言っても、あの場所に戻りたくて仕方のない自分がいた。

こうなったら、離婚するしかなかった。
俺は実家が裕福だったので、財産がかなりあったのだが、全部慰謝料として妻に渡した。
調停など煩わしかったのだ。
身の回りの品だけを鞄に詰めて、歩いて教団施設に向かった。

施設に来ると、半田がいた。
事情を説明すると、半田は残念そうに、
「そうですか、全財産を奥様に……。では、あなたにもう用はありません。さようなら」

扉は閉められた。

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