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兵庫教区学習会レポート

兵庫教区の学習会では、大きく分けて以下の5点に関する質問が総合研究所・満井所長、総局・荻野総務、統合企画室・中井幹事にあった。


全ての質疑に触れることは出来ないが、印象的な質疑を以下にまとめていく。

①「新しい領解文」の教義的誤りについて

1.『御文章』一帖目四通には問答形式で「正定と滅度は一益か二益か?」「二益である」とあり、(註釈版p1089)現当二益が示されている。また『正像末和讃』自然法爾章(註釈版p622)では「真如法性を語らず、愚者にとどまり、南無阿弥陀仏を申せ(質問者意訳)」とある。満井所長の「仏知見から」という説明では一益法門(異安心)に当たるのではないか?満井所長の説明では、親鸞聖人・蓮如上人の見解と異なることになるのではないか?

満井所長
異安心でないかという指摘があったが、異安心でないと思う。
「自然」という言葉を軽々しく使うことを誡めておられるのは、自力のはからいを否定されておられることであるから、「自らのはからい」を離れるものとして「自然」にもこだわるべきでない。「現当二益」については、示して頂いたとおりで、我々の場合において「現益」においては正定聚の益を
得させて頂き、「当益」においては弥陀と同体のさとりを得させて頂くことである。往相回向の到達点として「自然法爾」の信と理解すべきでないか。

2.安心は一味だが、御恩報謝は人それぞれだから、「このようにしなくてはいけない」と読める「新しい領解文」は、悲しみの中に居られる人をさらに傷つけることになるのではないか?

満井所長
「こういうあり方を目指してください」「こうじゃなければいけません」というものではない。ただ、お慈悲を頂いた身として、例えば本来なかった「和顔愛語」というあり方も私の上で芽生えてきた面がある。その幸せのお裾分けを「不断の精進」として表現させて頂くというあり方である。現代の若者は「自分さえ良ければいい」というものでは必ずしもない。各地で災害が多発しているところには積極的に赴いており、社会貢献に前向きな方々が、若い方に多分に見られる。彼らは「他力」ではないかもしれないが「自力」でもおそらくないと言える。今日若い方々が社会的な意識が高いのであれば、浄土真宗は「他力」を入口にするあり方を提示できるのではないか。

3. この度の問題はご門主を巻き込んでいるため、三業惑乱よりもタチが悪いのでは?

満井所長
タチの良さ悪さを私から申し上げることはできないが、いずれにしても我々はご法義・ご安心を語る時には、宗祖の御恩にたがうようなことがあってはならないと、常に自戒せねばならない。一見違和感を感じるということは否定できず勧学寮も「異様に映る」と言われている。ただ、なぜ御門主が「異様に映る」ものをお示しになられたのか。『一念多念文意』の「凡夫といふは...」のご文を百もご存じの方がなぜこのように示されたのか。私含めみんなで考えていきたい。

4. 領解文は約生で語るべきではないか?「さとり=煩悩」は、宗祖聖人が『教行信証』をお書きになられた苦労を踏まえると乱暴すぎるのではないだろうか?

満井所長
約生で語るべきだという意見は各地で聞いている。約生で語れば「地獄一定」である、ということは動かしようのない事実である。「地獄一定」の身がいかにして救われていくかという点に注力し、親鸞聖人のご尽力された思いを大切にしないといけない。「自己内省の厳しさに欠ける」という指摘だと受け止めた。自己内省というのはお互いの領解においては不可欠である。特に「領解」においては約仏の仏徳讃嘆という有り様も有りうると思う。大谷派では「改悔」と言われるが、これは私たちにエポックが生じている。どういうことかというと、自力が廃り、他力に回入した、そんなエポックが語られるべきだ。

②手続きに瑕疵があった場合の対応について

1.法規に基づいて運営されていると説明を受けたが、ご消息の発布や得度修礼に関する手続き上、法規に反するようなことがあった場合は、どのように対応すべきと考えますか?

荻野総務
手続き上、勧学寮から同意を頂いているので問題はありません。

→もしあった場合のことを聞いています。

荻野総務
手続きに問題がないので大丈夫です。

→問題があるか、ないかの質問でなく、あった場合の対応を質問しています。

荻野総務
問題があったら、それから考えます。また帰ってから考えます。

→手続きに問題があったとしても、それを無視して続けるかもしれないってことですか? 手続き上問題があることを、私たちはしないといけないのですか?

荻野総務
再度調べて問題が見つからなかったので心配有りません。

中井幹事
手続き上問題があれば、認証から見直さないといけないということになります。

2.総局は勧学寮の同意をどのように取り、どのように確認したのか。前勧学寮頭より前総長宛の同意文書を根拠としていること(当日配布資料より)に法規上問題はないか?

中井幹事
勧学寮からの同意は12月19日付の同意文書が総局に渡された。同意におけるの一連の流れの中に問題があったのではないかと過去の学習会でも指摘されたが、12月19日に寮員会議が行われ、同意とされた。総局としては勧学寮からの書面によって手続きを進め、申達を行った。

→勧学寮の5名全員が同意をしたのか?文書の中に5名全員が同意したことが明記されているのか?それがあるのであれば、前勧学寮頭より前総長宛の同意文書を根拠にする必要はないのではないか?

中井幹事
勧学寮の同意文書については、宗会議員の中で開示請求した者がいたが、勧学寮から開示されることはなく、全員の同意があったということになる。ご消息における同意は、5名全員の同意が必要ということではない。ただし宗意安心の裁断については5名全員の同意が必要である。

→進行役によりここで手続き関係の質問はストップ

③得度での唱和について

自分の子どもが近いうちに得度を受ける予定。
僧侶養成部に確認すると、「強制ではないが得度式において、新しい領解文を唱和することになっている。」と言われた。子どもたちは「仏さまの前で嘘はつきたくない」とも言ってる。これだけ問題が指摘されている以上、「新しい領解文」の唱和推進を一旦やめて、問題点を一度精査すべきではないか。一度決まったからという理由で推進すべきではない。

荻野総務
発言者は「新しい領解文」を間違っているとした上で発言しているが、私たちは「新しい領解文」を正しいものとして広めていくために学習会を行っているため、やめるつもりはない。

→それは唱和の強制ではないだろうか?得度式において自分の子どもが強制されてしまうことになってしまう。「和顔愛語」を掲げるなら、「新しい領解文」を唱和したくない人にも優しくしてほしい。

荻野総務
習礼において両方の領解文について学んでもらい、納得してもらった上で得度式で唱和してもらう。得度式においては本願寺で行われていることなので、機会があればこの指摘を伝えておく。

進行役
「新しい領解文」を得度等で唱和することについて、反対の方は挙手してください。
→多数が挙手
-進行役
当教区ではこのような意見があったことをお持ち帰りいただきたく思います。
→会場参加

④分かりやすさ、伝道の上での問題について

・満井和上の説明は非常に難解であった。「伝わる伝道」にするためにはきちんと伝わるようにすべきではないか。

満井所長
従来の領解文もそんなに簡単ではなかった。自身が得度を受けた当時、内容は理解できてなかったし、三業惑乱の様に学者でも間違った理解をすることがある。伝わらないのはなぜか、ということは考えていく必要があることは受け止める。

⑤門徒からの質問

1.この度「浄土真宗のみ教え」ではなく、なぜ「新しい領解文」として発布する必要があったのか?

中井幹事
総局からのご消息の文案のときに、「新しい領解文」という名称も含めた内容であったが、なぜその名称となったかについてはこの場で答えることは出来ない。

2.配布資料に「唱和は強制でない」とあるが「宗勢基本調査(2026年予定)において、寺院行事での唱和100%をめざす」ともあるのは矛盾してないか?

荻野総務
これは努力目標である。強制ではない。

3.ご消息にある「次の世代の方々」は誰を指しているのか?私は含まれているのか?満井和上の説明はほとんど理解できなかった。次の世代の方たちに、どんどん浄土真宗に入ってきてもらいたいのでは、満井和上の説明では逆にどんどん人が離れていくのではないか?

満井所長
「次の世代の方々」は褒められて育ってきた世代のイメージ。すでに大会衆門に至っている人への説きぶりと、近門にさえ至っていない人への説きぶりが全く同じでいいのだろうか、というのを意識した宗務のあり方だと思う。

学習会を終えての感想
質疑応答の時間が足りなかった。②手続きに瑕疵があった場合の対応についての質問者は、まだ続きの質問があったが質問することができず、私個人としても挙手したが質問する機会が与えられなかった。また、答弁の論点がずれていることが散見されたため、各質問者は納得できなかったのではないだろうか。
会の終わり際には、「私たちの浄土真宗を返せ!」と門徒からの怒号が飛んだことも印象的で、僧侶だけでなく門徒も総局に対する不信感を抱いていることが示されたように思う。

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