どうして生じた?領解文問題 vol.6
検証❶宗門の抱える病理
新しい「領解文」についての消息発布の経緯について、その不可解なことの背景を管見の誹りを受けることを恐れず書いてみました。今回の「西本願寺・令和の迷乱」とも名付けたい程の混乱は宗門が抱えていた問題を露呈した状況となり、それがもたらす影響は計り知れないものがあります。
1つには宗門内に惹起した相互不信感
2つには宗務機構の脆弱さ
3つには総長門主複数指名制の危険性
4つには勧学寮の信用失墜
5つには宗会の宗務行政チェック機能能力の低下
6つには宗会議員選挙での無投票当選の増加
7つには宗務の基本方針に見える社会貢献への過度ともいえる傾倒
8つにはご法義を護り伝える体制の弱体化
9つにはあまりにも目に余る中央集権化
10には一般寺院の宗派の動きへの無関心さ
などなど挙げれば切りがないほどです。
これほど多くの問題が露呈したということは宗門の抱える病理が見つかったということですので、それの一つひとつを丁寧に改善していく対処を考えることが出来る環境になったことでもあります。そのように考えるならば「西本願寺令和の迷乱」は宗門そして私たちお寺を預かるものとして「喜べはしないが有難い」ご縁と受け取ることも可能でしょう。ここで一つひとつを検証する力量は私にはありません。しかし特に昨今の宗派としての教化路線について些かの疑問を持っている者の1人として所見を述べていきたいと思います。
検証❷宗派の教化路線
何故ここで宗派の教化路線について考えるかと申せば、一連の「唱和もの3点セット」の提示は総長の教化路線がよく表れたものと見るからです。
「ご消息発布の経緯の疑義」あるいは「法義解釈の危うさ」について各方面から指摘がなされていますが『法規に則り間違いない手続きで行った』、『ご門主が発布されたものに対して所見を述べることは僭越至極』と交わされることで「モノが言えない」状態、つまりは膠着状態にあるのが今の現状です。
「法義解釈論」については「勧学・司教有志の会」の和上方が身を挺して論陣を張ってくださっています。その「志」に深く敬意をもち、私自身の学びの礎とさせていただいています。「発布経緯疑義」についてはエビデンスは揃っているのに何ともならない「隔靴掻痒」の感が蔓延しています。そこで私はもっと根っこの部分で議論をする必要があると考えてみたのです。
それは「本願寺派の現代伝道論」つまり教化路線での議論です。
もとより総長さんの浄土真宗のご法義をどう伝えていけばいいのか?現代の状況と未来への大きな不安と危機感を、その立場ゆえ人一倍持っておられることには共感し賛同できるのです。それの打開策として提案し続けておられるのが「唱和3点セット」と思われるのです。私たちは総長への感情的反発が先走りすぎていたのではないかと思うのです。それは宗会議員さんに向けても同じ事が言えます。それはご法義をお伝えすることには全くの無益どころか「ご法義に傷を付ける」ことに他ならないと思うのです。むしろ「一緒に考えていきましょうよ、総長さんお一人抱え込まなくても私たちと一緒に考えていきましょうよ」と同じ土俵に立ってもらうことが議論になり得ると考えるからです。
検証❸宗務の基本方針
同じ土俵でなければ議論にならないと先に書きました。今までは土俵の手前で「いやそんなことは承知の上」と取り組みさえも拒否されていたんじゃないか?と感じるのです。こちらは取り組みしてもらえないので焦燥感が増すばかりで「自分たちが間違ったことを言ってるんじゃないか?」とまで思わされている状況です。
さて宗派の教化方針は毎年発表される「宗務の基本方針」に示されています。それを見れば今、宗派はどのようにご法義を伝えていこうとしているのか、その方向を伺うことが出来ます。これについては「宗報」に掲載されています(だいたい4月号)。
これは毎年2月の定期宗会で「宗務の基本方針(案)の骨格とその裏付けとなる予算案(案)」の審議を経て、3月に開催される常務委員会に『宗務の基本方針の具体策』を示し審議の上、議決承認を受けた上、必要な手続きを行った上で新年度から実施に移されるものです。
先ずは昨年度(2022)分をここにあげておきます。
以上が昨年2022年4月1日から今年の3月31日までの宗派としての教化方針です。これについては年度ごとにPDCAサイクル(※)を使って検証が行わられることになっています。
(※)Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)の仮説・検証型プロセスを循環させ、マネジメントの品質を高めようという概念のことです。(私たちの寺院活動でも意識はしてはいませんが、この思考方法で行なっていますよね)
それはさておき、まず注目したいのは、
の文言です。ご門主のご親教(親しく教えてくださるの意味です)が教化方針の冒頭に掲げられることにどういう意味があるのでしょうか?
ちなみに今年度にはここの部分が
となっています。どちらもご門主の「ご親教」もしくは「ご消息」が教化指針の目安となっているのです。
検証❹真宗の現代伝道論
浄土真宗本願寺派の「宗務」とは、私たち一般寺院で言うならば「法務」のことです。
これはほんの一端ですが多岐にわたります。これらお寺で行うこと全てが「法務」(※)と言えます。
※「法務」を法事お葬式などの仏事と限定してしまうと、教えとお寺のダイナミックさを失わさせる事になると考えています。
「法務」をサポートしていく立場が一般寺院を包括する「宗派」であり、サポートするための諸政策の方針のことを「宗務の基本方針」と捉えていくものだと考えています。ですから「宗務の基本方針」は私たちのお寺と無関係なものではなく、直接しているものなのだという事を知っておく必要があると思うのです。
「宗務の基本方針」は大切なもので、それにご門主の「ご親教」「ご消息」が指針となっていることを前回書きました。それはある意味当然のこととは思います。何故ならご門主は先にも載せておきましたが、宗法第3章第4条に
とされ、親鸞聖人の教え(法義)を伝承するものであり、法義によって宗門を一つにまとめ治める存在であるからです。
結論を先に書きます。
果たしてあの内容で親鸞聖人が示された「真宗の肝要を、正しく、わかりやすく、有難い」ものとして「伝わる」よう私たちは出来るのか?「正しく伝わる」ための必須条件は「唱和もの3点セット」が真宗義と合致していることが大前提なのです。
しかし、この点を「勧学・司教有志の会」の和上さま方が論陣を張って「NO」とされています。学識の薄い一布教使の私が「唱和もの3点セット」を拝見しても「NO」なのです。この視点で言っても「教義解釈論争」が重要なのです。
私の「NO」を学問的裏付けしてくださるのが「勧学・司教有志の会」の数々の指摘と受け取り学ばさせてもらっています。ですから「第3の視点」で「真宗の現代伝道論」で論議をするところに「必要」と「意味」があると考えています。
この度のことを喩えていうなら私のお寺の総代長が、どこかで聞き齧ってきた教えを「これからこういう説き方でなければ現代人には通用しないしお寺の未来はない。住職もそう言っているから反論は一切許さない」とご門徒方に言っているようなものですから。
検証❺根拠を率直に聞かせください
私のお寺の総代長が、どこかで聞き齧ってきた教えを「これからこういう説き方でなければ現代人には通用しないし、お寺の未来はない。住職もそう言っているから反論は一切許さない」とご門徒方に言っているようなものと喩えてみました。
繰り返しになりますが、総代長に対しいくら「その教えは間違ってるよ」と門徒が口を揃えて言っても、総代長は確信と信念で固まっており、加えて周りから異論が出ると益々頑なになってしまって、にっちもさっちもいかない状況。これを打開するには「総代長を辞めてもらうしかない」のですが、総代会役員と一部のご門徒は腹の中では「違う」と思いながらも総代長が怖いもんだから面従腹背であっても退陣要求を出すことは無理。
総代長は「教えは住職さんが言ってるんだから」と、その責任は住職にあるんだと思わせる空気づくりに成功し、自分には責任はない立場に身を置いている。こんな総代長に対してどう「話し合いの場」に着席してもらうことができるか?それは、
分かりやすく言えば、このような言い方でしか同じ土俵に上がってはもらえないと考えるのです。つまり、私たちがいくら「貴方がいう、その教え自体に問題がある」と叫んでも何も変わらないと思われます。
で、話を元に戻します。
2023(令和5)年度「宗務の基本方針」策定にあたって一という文書があります。少し長いですが原文のまま転載しておきます。
以上が今年度「宗務の基本方針」策定にあたっての理念となる部分です。その理念の拠り所は『念仏者の生き方』と『新しい「領解文」』にあることがお分かりでしょう。
つづく