見出し画像

どうして生じた?領解文問題 vol.13

松月博宣ノート

【例証編】⑥総長の役割とは?

池田新総長が就任後の記者会見で

ご門主さまからの候補者指名は、新しい『領解文』の心を伝えてほしいということだと受け取っている。石上総局の方針を継承し、ご門主さまのお心に沿うよう宗務を務めることが、指名を受けた者の使命

と決意を述べたと各紙が伝えています。
ご門主から指名を受けた側の理屈から言えば池田氏の語ったようになるのでしょう、池田氏も新しい「領解文」を石上氏とともに推進してきたことが今回の指名に繋がっているとは思いますから、新しい「領解文」の唱和推進をすることが門主の心に沿うものであるとするのは理路としては通っています。

しかし総長は門主のためだけに存在する役職なのだろうか?という疑問が湧き起こるのは私だけでしょうか。つまり総長は「どっちを向いて宗務を運営しているか」ということです。

「ご門主の心に沿う宗務運営」はともかくとして、世間的に見れば総長は宗派組織のトップかもしれないけれど、総長は宗門人の委託を受けて宗務に就くという面もあることを忘れてもらいたくないもの。ご法義に仕え、宗祖に仕え、ご門徒に仕え、全僧侶に仕え、全寺院に仕え、全職員に仕えるという意識こそが必要な事ではないかと思っています。その意識こそが彼が若き頃から目指していた「同朋教団」のあるべき姿ではないかと思います。

となれば、何故これだけ新しい「領解文」について多くの方々から疑問や危惧の声が上がっている事に対し、少しも心を向けてみることはしないのか?もし彼が「勧学・司教有志の会や考える会などネットなど一部の方が騒いでいるだけ」「言わせておけばいい、言うのは自由」という認識であるならば、これからも石上氏と同じように宗門世論の声を無視を続けることになり混乱はつづく事になります。同級生として甚だ残念の一言です。彼にはヒラメ総長ではなく一般寺院や僧俗のどんな小さな声にも真摯に向き合う総長であって欲しいと切に願っています。

総長に指名され、早速にこのようなことを語らなくてはならない辺りにも「指名制」の弊害が出ているように思えるのです。確かに門主として自分の目指している事を実現してくれそうな人物を総長候補として指名されることは当然のことだとは思います。

それはさておき、石上さんの異例の長さで行われた退任演説の中で「消息に私が関与した事実は一切ない」と啖呵を切って辞めた今、あの「新しい領解文」は門主が自分でお考えお書きになる時、石上さんの著書をパラパラとめくりながら、その中の文言を盗用してお書きになったものという、あり得ないことが事実とされる事態になってしまいました。

これは門主無答責を利用した石上さんの自己弁護的発言に他なりません。また同時に、門主無答責を維持することで宗教的権威としての門主を守ることを放棄し、宗教的権威を破壊してしまった事になりました。これでは石上智康さん自身が「宗門の秩序」を乱した張本人と言われても言い訳が出来ろう筈はありません。

『拝読浄土真宗のみ教え』改訂委員会で「救いのよろこび」を削除する経緯でも彼の常套とする手法が使われています。以下改訂にあたってという長々とした文章が改訂版に石上智康名で掲載されていますので該当する箇所を一部転載しておきます。

なお、改訂編集委員会としては、「これを一応の報告とさせていただき、今後は、総局において文言をふくめて、検討、決定して下さいますよう一任いたします」ということであります。 この報告書を承けた直後、2018年「秋の法要」におけるご親教で、ご門主から「このたび『念仏者の生き方』を皆様により親しみ、理解していただきたいという思いから、その肝要を次の四カ条にまとめました」として「私たちのちかい」のご教示がありました。 そこで総局において総合的に検討いたしました結果、旧版『み教え』の基本的な編纂方針を継承しつつ、改訂に際しては、典拠が明確であり、しかも現代人にもわかりやすいことを原則として、(中略)『拝読 浄土真宗のみ教え』改訂版として発行することといたしました。

つまりは「改訂委員会は判断できないから総局に一任」された矢先、「私たちのちかい」がご親教でたまたま語られたので、これを掲載し「救いのよろこび」を削除をしたのだとする態度です。

【例証編】⑦新総長の就任会見Ⅰ

引き続き中外日報6月2日号第2面の池田新総長の就任会見時の発言に関連して。

新しい「領解文」に関する今後の宗務方針について
『宗会で議決された基本方針と、常務委員会で議決された具体策に沿って勧める。唱和100%を目指す具体策についても同様に考えている』

と。石上総長が辞めたことで少しは違う風が吹くのではないかと微かな希望を抱いていましたが、想定はしていたものの絶望的な発言が池田新総長の口から出ています。ここまで鉄仮面を張られると言葉が出ない。

次に、宗門内から聞こえてくるさまざまな声には

勧学・司教有志の会に対しては、5月10日付で石上智康前総長から浅田恵真勧学寮頭へお願いの文書を提出しており、その返事を待っている。それ以外の意見や声については、宗門の手続きを経て提言していただければ、総局として対応したい。

池田さんよ、君、勘違いしていないかい?と思わず記事を読みながら声に出してしまいました。宗務機関は他の宗務機関に干渉しない大前提では無かったのか?石上さんが件の文書を手に浅田寮頭に会いに行って土下座して頼んだことに対して浅田寮頭は「小職は有志の会に指導する立場ではない」と断られたのを池田さんと石上さんの関係性から見て、聞いていないとは言わせませんよ。その時、聞いてなかったにせよ事務引き継ぎされていないのか?まさか病気療養中で会えないとも言わせませんよ。現に石上さん元気に走り回っているじゃないか。

「それ以外の意見や声は手続きを踏んで提言すれば総局は対応する」?、今まで一度でも総局がそれをしてきたのか?木で鼻をくくるとはこういう物言いであったかと記事を読み改めて思います。

続いて宗務を進める上での考え方について

教えに基づく教団であり、組織ルールで運営していかなければならない。教えの理解については様々な学派があるが、安心に関することは勧学寮が示したものを踏まえて行政はやらざるおえない。

この発言には大きな間違いがある事を指摘しておきます。それは「安心にかかわることは勧学寮が示したものを踏まえなければならない」のところです。池田新総長は学者肌で講録や典籍や資料を隈なく読み込んでいる人物と、ある意味リスペクトしていましたが肝心な点については自分に都合よく読んでいることがよくわかりました。それは「安心の裁断は門主」であるという点です。知ってて言わないのか知らずに言ったのか不明ですが、勧学寮は門主の諮問機関ですから「勧学寮が示したものを踏まえる」は理路として成り立ちません。

付け加えるなら「組織のルールで運営」、一見真っ当な発言ですが今回の混乱はその組織運営のルールを巧みに利用した結果ではないかという点です。「ルール則ってすれば何事でも可能である」事を盾に取りながら石上さんと一緒になって進めた結果が今の状況であることへの反省の微塵もないどころか、正当化しようとすることに驚きます。

『直近の課題として賦課制度改革と北境内地の有効活用』があると述べたとありますが、賦課金は宗務の運営費であり、その宗務は『教えに基づく教団』と言うなら、喫緊の課題は「教えの混乱を解決すること」ではないかと思います。私たちは「この度の混乱の解決なくして賦課制度の話は無理である」という立ち位置を確認しておく必要があると思うのです。

6月末には九州組長会が、7月には公聴会(福岡は7月25日:北豊は7月12日:長崎は7月5日いづれも午後1時からです)が設定されていますが、「この度の領解文問題の解決なくして賦課制度の話には進めない」この事だけは明確に打ち出し糺していかなければなりません。各組長さん方と公聴会に出席される方に、この事を知ってもらいたいものです。

【例証編】⑧新総長の就任会見Ⅱ

昨日の投稿を読んだという東京北選挙区のご住職から「池田さんが初めて宗会議員選挙に臨んだ時、『宗門をよくしたいと思っている人との会話を大切にしたい』と言ってましたよ」と連絡くださいました。20年と言う月日は人を変えてしまうのか、それとも役職が人を変えてしまうのか、付き合う人の影響を受けて変わってしまうのか、分かりませんが池田氏の初心が忘れられていない事をただ念ずるばかりです。

就任の記者会見での発言はまだまだ続きます。
池田氏は東京教区北選挙区から選出されており、京都と首都圏での浄土真宗の感覚の違いや都市開教の必要性についても触れたとあります。私も首都圏開教で全くご縁のない方にアプローチすることは重要だと思いますが、しかしそれと共に地方から移住した潜在的ご門徒の再発掘こそ急務であり、それがご縁のない方へのご縁づくりのプロトタイプとなり得ると考えています。

それははともかく、まず総長になったからには京都と首都圏のみを見て宗門を語るのではなく日本全体を俯瞰してもらいたいもの。池田さんのご自坊も首都圏内の地方なのですから。前にも記しましたが石上さんも同じような感覚の持ち主でした。今までも今も宗門を支えている地方のご門徒さん方をどうか見捨てないでいて欲しいと思います。地政学的に言っても本願寺派はご懇志にしても教化活動にしても西日本がその多くを占めているのですから。

池田氏の記者会見の発言で気になることが、まだ2つあります。ひとつには

全日本仏教会事務総長を務めていた際、大小さまざまな教団を見ていて、本願寺派には外からどう見られ、どう直していくのかという感覚がないと感じた。

これは何を言わんとするのか理解に苦しみます。社会から本願寺派をどう見られているのか?それを知るべきであるという意味だろうか?地下鉄サリン事件の頃であったか幹部信者が検挙され「お寺は風景のようだった」と陳述したと報道されました。これは鋭い指摘だと今も感じています。私たち内側が思っているほど世間はお寺を、本願寺派を、意識はしていません。(もっとも今回の混乱で少しは興味半分で意識はされてきているかもしれませんが)。

本願寺派は宗制で謳われるように、粛々と間違いのない阿弥陀さまのお救いを、人々に愚直なまでに伝え続け自他共に心豊かな社会の実現に向かって歩み続けることが、なすべきことのように思います。池田新総長には「外目ばかりを気にするより、宗門内の声を気にし大切にしてもらいたい」ものです。

二つめは

教学面でも、まずは仏教としての浄土真宗の視点に立って理解いただき、その上で浄土真宗の教えもありがたいと理解してもらうと言う視点が忘れられている。

?????一体何を言ってるんですか?まずは「忘れられている」??。なんと上から目線でお話しになりますね。池田氏が教学者の自負があるならもう少しご開山のご本典を読み込んでから語って欲しい。

前々回の宗会議員選挙で彼の対抗馬で立候補した都内の若手僧侶を私が全面的に支援をした直後、日光で1泊2日の東京教区仏教壮年会研修会に招かれ、その夜の宴会時に彼から「君の法話は情緒的だ、僕はロジカルに語る」と言われたことがあります。(笑)それはどうでもいい話だけど自分を「ロジカル」ということも如何なものかとは思いますが、ここはロジカルに語るならもっと違う言い方があるだろうにと思います。

宗祖は真宗を「大乗の至極」とお示しになり、また化身土巻・結説総勧では

浄土真宗は在世・正法・像末・法滅・濁悪の群萌、斉しく悲引したまふをや

註釈版聖典413頁

とご自釈されていますが、これを池田氏はどう解釈なさるのでしょうか?

私は師と仰ぐ和上から「宗祖義で浄土真宗を見るのが我々のお宗旨」「仏教の教えの中の一つに浄土真宗があるのではない。浄土真宗が仏教なのだと宗祖は仰ってある。間違えなさんなよ」と厳しく聞かせてくださった事を今も心しております。

この池田氏の通仏教と浄土真宗の考え方は、石上さんと相似性があることは偶然なのか、石上さんも初期仏教経典を好まれそれを引用しての挨拶を何度かお聞きしたことがあります。
“まず仏教を知って学んでもらい、やがて浄土真宗に触れてもらう‘’まさに三願転入を自身の求道の道程の見本と見ておられるのではないかと邪推してしまいます。それでは高森顯徹さんの語られる教えとあまり変わらないのではないかと危惧します。

これでは本領解文の『もろもろの雑行雑修自力の心をふり棄てて、一心に阿弥陀如われらが今度の一大事の後生、おんたすけ候えとたのみ申して候』が「理解における平易さが希薄になってきた」のはお二人ではないですか?と申し上げなければならなくなります。ご門主の前に領解出言をし改悔批判を受けてのち、ご門主には総長指名をしてもらいたいものと思ってしまいます。

【例証編】⑨総局は一切答えない

池田新総長になって10日目ですが早くも足元がぐらついています。池田氏は宗会の大心会という会派出身ですが、その大心会のメンバー数人が退会するという情報が昨日昼過ぎに入ってきました。普通総長会派は一丸となって総長を支えていくものですが、どうやら池田新総長が新しい「領解文」の推進を前面に出してスタートしたことに反発した議員さんが退会したというのが真相のようです。石上さんの姿が見え隠れすることにも不満があったようです。現在、議員間で会派をめぐり目まぐるしい動きがあっているようです。これが領解文問題の解決に向かうものであることを願うばかりです。

こんな事態になるとは予想されていなかったのでしょう、池田総長は就任早々強権的な動きに出ています。それは7月に各教区で行わられる公聴会に関してですが

「新しい領解文に関する意見・質問は受け付けない」

と事前通達をしてきました。理由は各教区で宗派主導の領解文学習会を開くので、そちらで意見・質問せよとの事らしいですが、聞くところによると学習会に出講する講師には

「制定の経緯については総局に聞いて欲しい」

と回答せよと指令が出ているのです。
要するに『総局は一切答えない』という構えのようです。

この度の会派退会劇は、このような高飛車な宗務の執行姿勢にも身内から異議を突きつけられたと言うべきでしょう。これから先はどの会派が池田総長の後ろ盾になるのでしょう。顕心会は総務を出していませんし、誓真会にしても総長の姿勢に批判的な議員さんが多い事を見ると、残るのは前総長会派の八五倶楽部になるのは自明のようです。何しろ3人も総局入りしている会派ですから。池田新総長の知恵袋(院政か?)の石上さんが、今ごろこの事態を乗り切る秘策を伝授されている事でしょう。

アンケート報告

昨日「新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についてのアンケート報告書を発表しました。これは新しい「領解文」が今までご縁のなかった人に拝読唱和してもらう事で、浄土真宗の肝要を伝えていきたいという、石上前総長お得意の教化方法が「果たして有効か?」についてネット調査会社のシステムを利用して実施したものです。実施したのは5月16日で調査結果の発表のタイミングを計っていたところ石上さんが辞職しましたので、新体制が整ってからと判断し昨日となったものです。

詳細は報告書を見てもらうこととして「平易で分かり易いか」に関しては賛否は拮抗していますが、これが「布教伝道に効果があるか」には多数が否定的な意見でした。またご縁の薄かったかたは「この文章を拝読、唱和する」に否定的な意見が多数でした。つまりは「新しい領解文での布教伝道は期待できない」という結果が出ています。

特に唱和することには抵抗感が多く見受けられることは、いつか述べておきましたように価値観が多様化し個を優先する現代人には受け入れ難いものがあるようです。と言うことは石上前総長にしても、それを継承すると言う池田総長にしても宗務の方向性の判断に間違いがあったと言うことです。「ご門主が消息に拝読唱和のお勧め」をされているではないか?というご意見もあるかと思いますが、制定の経緯を見ても果たしてご門主の真意であるかは不明です。

しかしご自身がご自身のお名前で出されたことに制度上はなっていますので、ここら辺りはよくよく検討する必要があると思います。もっとも、そのように私たちを疑心暗鬼にさせてしまった事は、石上前総長と池田新総長に責任が大いにあると言わざるを得ません。

先の「制定方法検討委員会」で当時、所管総務であった池田行信氏は

本委員会では、本質的な論議が行われており、「現代版領解文」については17年前から議論されてきたが、浅田委員の意見のような改悔批判と領解文との関係性についての認識は全く無かったと想像する。本委員会で勧学寮員に出席いただき、改悔批判の認識が深められ大変重要な視点をいただいた

と知らなかった事を正直に吐露されていることには共感をするものですが、池田氏といえば教学に明るい人物と私は見做しており「改悔批判と領解文の関係を知らなかった」という事実には正直驚いています。ひょっとすると池田氏は伝統宗学を嫌っておられるのだろうか?だからそのようなことさえ考えることはなかったのかと思うのです。

当時の寮頭が「結局、領解文は誰が制定するのか?」に答えて所管総務として「答申書にはご門主のご消息による制定と記載されている」と発言。それに対して「私は反対している」と発言された勧学さんがいらっしゃったことは表には出ていません。

【例証編】⑩既定路線

ご門主のご消息に「『領解文』の精神を受継ぎつつ」と「新しい領解文」制定の「構え」を述べられていますが、この文言は「宗門長期振興計画」の中で言われている表現をそのまま使用されたものです。

前回述べたように改悔批判と領解文の関係を考えないまま、つまり領解文の本質を考えることなく単に「領解文」の現代版を制定しようと議論をしていたのが「宗門長期振興計画」の段階でありその総括書でした。つまり最初の議論から‘’ボタンの掛け違い‘’があったようです。

「ボタンの掛け違い」に気付いたら修正するのが正しい物事の進め方と思いますが、

当委員会の今までの議論は宗門長期振興計画の総括書を基礎に積み上げている

という事務方の強い意見で、その掛け違いを修正する道が完全に塞がれてしまっているのです。確かに「総括書を基礎に積み上げている」という事務方の意見は組織運営の上では至極当然の事ですし、これを言った事務方は優秀だと思います。しかし宗務所は前例踏襲が当然とされる一般の「お役所」ではありません、ご法義宣布するための仕事をする所です。領解文の根本的理解に瑕疵があったとの勧学さんから意見があったのですから、それを真摯に受け止めて先ずそこから見直す作業をしなければならないと思うのです。事は宗意安心に直結する事ですから。

その時、池田氏が所管総務として“高度な政治判断‘’を発揮して

過去17年間も「現代版領解文」としての議論されてきたが勧学委員ご指摘のように、それ自体が間違いであった。先人のご苦労を否定するものではないが、事は宗意安心に関わることであるので「現代版領解文制定方法検討委員会の設置規則」を変更して「現代人に理解され、平易に唱和出来るものの制定方法を検討する委員会」に変える方向で検討し直したい。

と、もし言っていたなら、この度の混乱は起きなかったと思います。東京教区相談員を経験し物事を広い視野で見ることの出来る、そして教学にも明るい池田氏ならそれも可能であっただろうにと思うと残念でなりません。しかし、この制定方法検討委員会は、ご親教「浄土真宗のみ教え」を領解文とするために石上前総長が‘’あえて設置した‘’’ものに過ぎませんから池田氏も突き進むしかなかったのでしょう。今に至っては‘’言ってもせんなき事‘’ですが。

既定路線を先ず設定し、それに合うように物事を進めていく事は間違ってはいないと思います。しかし前提となる既定路線に間違いがあると気付けば、それを見直し修正する勇気がなければ間違いの幅が広がっていくばかりです。これは一人池田氏や事務方を責めるものではなく、仮に私がその場でいたなら同じように振る舞っていたと思います。もって他山の石と肝に銘じておきたいもの。

仮にそうなっていたなら、あの「浄土真宗救いのよろこび」で当初の目的は完結していると考えます。しかし「ご親教・浄土真宗のみ教え」を現代版領解文にスライドさせたい石上前総長にしてみれば、あれが相当邪魔になったと思われます。でなければ『拝読浄土真宗のみ教え』から削除する理由は他に見当たりません。

このように、この度の領解文問題が生じた原因は多くあります。言い換えれば問題に気付いた時、躊躇なく路線変更をする事でいくらでも問題回避は可能であったと見ております。それを悉く強権的宗務執行で潰していたのが石上前総長であったと思うのですが、、、

【例証編】⑪2つの根本原因

領解文問題が生じた根本原因に2つを挙げることができます。

⑴『領解文』とは何かを精査せずに「現代版領解文」を作ろうとした点
⑵ 1人の総長が自らの思想を宗門内に反映させようとの強い意志があった点。

⑴については「現代版領解文」制定を打ち出した2005年始動の「宗門長期振興計画」まで遡らなくてはなりませんが、それを公的な場で初めて指摘したのが2022年の「現代版領解文制定方法検討委員会」の場でした。勧学委員が現代版領解文は、その本質からいって「制定は不可能である」と議論に持ち込もうとしたものの、「制定ありき」で委員会を進めようとする総局側にはぐらかされ、加えて各委員からはそれに同調する意見が出なかった。かろうじて「領解文」という言葉を用いたままでは教学的に大変問題があるという点を、『「領解文」という文言は混乱を招く恐れがある』ことを答申書に書き込むこととして混乱を回避しようとしたようです。つまり総局以外の委員は新たに制定するものは「領解文」の本来的役割を持つものではないという認識であったように見受けられます。

しかし総局側はあくまでも宗門長期振興計画一環の「現代版領解文の制定」事業であることに拘(こだわ)り、領解文の本質的な部分を取り上げることなく「ご門主に制定していただくほかはない」と答申の方向に導いていったのです。

⑵については、石上前総長の最終目的を誰一人知るものはなく、憶測でしか語れないことが今回の問題を複雑化しているように思えます。それは石上氏の「責任が自分に及ばない」ように全てを組み立てていく執務の基本姿勢に多く起因すると見立てることができます。責任を負わされた相手は宗務所職員であり、総合研究所であり、宗会であり、勧学寮であり、最後には、ついにご門主にまで責任を負わせた形になっていることを見逃してはなりません。

氏の最終目的がなんであれ、強権的で且つ他者への責任転嫁ばかりの宗務運営で、宗門を大きな混乱に陥らせたにも関わらず、なんの説明も謝罪も無いだけではなく自分を正当化する演説でもって役職を放棄していったことは、本願寺派の負の歴史として残ることになりました。氏と近しい方に「歴史に残る仕事をした総長になりたい」と語った事があると伝聞します。宗門にとっては大きな迷惑ですが、ある意味その通りとなっています。

領解文は実に宗意安心に直結するものです。それを意識しなくてはならないのは宗意安心に乱れが出ている時であると言えます。そう考えると、この度の混乱をご縁に真宗義の学びが深まる事は良き事ではありますが、決して喜べる事態ではないことを知っておきたいものです。

つづく

松月 博宣
浄土真宗本願寺派僧侶
龍谷大学文学部仏教学科卒業。本願寺派布教使。
福岡県海徳寺前住職。
https://www.kaitokuji.info/


いただいた浄財は、「新しい領解文を考える会」の運営費に活用させていただきます。