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鹿児島教区学習会、質疑応答

2023年10月3日に開催された鹿児島教区の学習会より、質疑応答の一部を要約して記します。質問と回答に絞っているため、さまざまなご意見は割愛していますことをご了承ください。


責任の所在と今後の対応は

Q 護るべきご法義は何か。聖人一流か、新しい領解文か。

A ご法義を大事にし、そして広めるために私は一住職としても活動している。(三好総務)

Q 発布のすべての責任は総局にあると認識しているのか。

A 申達した宗務機関は総局なので総局が責任を負う。責任の中身は、ご門主が発せられたご消息を皆さんにきちんと理解してもらうという取り組みを行う、それが総局の責任。発布までの流れは、総局から内事部へ消息発布の依頼を行う。今回は依頼を受けて3日後に内事部から文案が総局へ届いた。総局から勧学寮へ同意要請を行う。今回は過半数の賛同があれば同意が成り立つという事で同意を得た。総局が「ご消息を発布してくださいという申達」。「ご親読をしてください」という申達も今回は同時にあった。そしてご消息が発布されるという流れ。(三好総務)

Q 得度習礼にて新しい領解文が唱和されている事に困惑がある。

A 令和五年六月から得度で新しい領解文が依用される事に変わった。従来の領解文を唱えなくなったわけではない。(三好総務)

Q 新しい領解文の唱和推進の基本方針への抵抗がある事について。 

A この混乱は私たち執行役員の不徳の致すところである事は間違いない。この状況を治めたいという一心。(三好総務)

推進者はご自坊で唱和されているのか

Q ご自坊で新しい領解文の推進唱和をされているのか。

A 私のお寺ではまだ唱和の機会は作れていない。いずれか新しい領解文の学習会を自坊でも行いたい。 (三好総務)

A 従来のものも新しいものも唱和はしていない。(満井所長)

A ご門徒方に新しい領解文の説明はした。唱和はしていない。(中井部長)

原案の作者はどなたか

Q このご消息はご門主の書いたものか?石上前総長の著書の文と酷似している。

A わからない。少なくとも龍谷門主釋専如の名前入りで出されている。ご門主が書いたものでなければ、これほどのご門主への侮辱はないと思う。(三好総務)

Q 勧学寮の合意の議事録を示されない根拠は? 

A 開示するどうかは寮員会議で決定されるもの。(中井部長)

執行長を通すべきでは

Q 内事部の長は執行長なので執行長を通すものではないか?

A ご門主と本願寺住職の窓口は内事部になる。この度は、宗法に定められた宗門の御消息の発布なので、総局へ返される。(中井部長)

A 本願寺の執行長から申達されるご消息もある。(三好総務)

Q ご消息の発布に関しては、本願寺の執行長を通すのが普通の考え方ではないか。

A ご門主のご消息の発布なので宗門では総局が申達をするという事になると思う。(中井部長)

説明がなければ読めない

Q ご門主は大事。ご門主に傷がつかないような組織を取っていただきたい。明治憲法、天皇は神聖にして犯すべからず。その天皇を利用して色々な問題が起こった。領解文を拝読して不思議に思ったのは、煩悩にまみれた私と仏のさとりがなんで本来一つなんだ疑問に思った。「本来」が引っかかる。梯實圓先生の「正信偈」を読んでいたら、阿弥陀様の功徳に救われてこの世を生きる私たちが南無阿弥陀仏と仏さまの言葉をいただきそのお徳を聞いて喜んでいるというのは、お浄土の菩薩たちが仏さまの説法を聞いて喜んでいるのと同じこと。場所は穢土と浄土の違いはあるが、お浄土の素晴らしい菩薩さまと、毎日煩悩を起こしながら生きている私たちとは月とすっぽんほどの違いがある。違いはあるけれど本質は一つというわけだ。なぜこんな事を親鸞聖人は仰ったのかというと、曇鸞大師が『論註』の中で、お浄土の阿弥陀さまの眷属は誰だということを仰ったところがある。その中で、阿弥陀さまの眷属は浄土の菩薩だけでは決してないと仰った。では誰かといえば、「遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟」。浄土の眷属は無量数知れず、そういう事をなんで問題にするのか。一切の衆生は阿弥陀如来の胎児、子どもであるという思想。だから、この領解文は早く言えば説明が足りない。「本来」に何か理由があるのだろうか、間違いじゃないとしても説明が足りない。

A 本来一つあたりがまず分かりにくい。生死即涅槃である。仰る梯和上の著書の言葉で言えば、包まれているというところが、本来一つの部分だと思う。私たち凡夫は仏さまのお慈悲の中になる。一切衆生悉有仏性であればなぜ迷いがあるのか。従来、本来仏性を持っていたら本願力は助縁他力になってしまう。三説あって代表的なものは、仏性が私たちの上で語れるという事は、阿弥陀仏の仏性が遍満して私に届いている。信心発起する。発は昔からある。起は今はじめて我々の側で起こる。阿弥陀仏の仏性は私たちのもとにすでに届いている、それが私の上で花開くのは信心開発の身になってだという事。学ぶ姿勢を継続していただければ有り難い。(満井所長)

現代版領解文制定の背景

Q 三好総務のフェイスブックの中に「領解文は権威によって成立したものではなく、御同行によって完成されていったと受け止めたらいいのではないでしょうか。そこまでは言わないにしても浄土真宗の救いの喜びにはそのような精神が込められていると感じています。今回のご消息は勧学寮の・・・この背景には・・・進めたい人の政治的な誘導があったと思っています。」・・・そして最後の方では、「つまり消息の発布は勧学寮の同意です。制定方法は認めた、でも領解文とするべきではないという立場だった勧学寮がなぜこの内容で同意したのか。ひょっとして制定検討委員会での決議が、そのまま内容についても同意したのだと強引に持って行ったのかも。もしそうならば誰だと。・・・調査したいと思います。」という文章があったがどういう事か。

A フェイスブックで宗会の報告をしている。もともと新しい領解文のご消息が出る二年前にご親教として浄土真宗のみ教えが出された。その一年半後に総合振興計画の全体会があった。そこで当時の総局より、阿弥陀堂のご消息(令和3年・2021年11月23日)の中でみ教えをぜひ唱和していただきたいというご門主の言葉が出たので、これを現代版領解文として位置付けるという提案がされた。その時、私は手を挙げて手続き上おかしいと明確に意見した。(三好総務)

やらされているのか

Q 自分の意志で来ているの?やらされているのか?

A 私どもはご門主が発布されたもの、しかも唱和してくれとの願いであるならば、それを伝える責任が私たちにはある。という事でこの場にいるという事。(満井所長)

A 満井先生と同じ。(中井部長)

A 同感。個人的立場で座るべきではないと思っている。皆さんと一緒に学びを深めたいという気持ちでいる。(三好総務)

鹿児島の隠れ念仏者は

Q 師徳のところ。善知識の部分がご門主となっている。鹿児島は隠れ念仏の歴史がある地。命を懸けてつないでくれた方がいた。これは次世代にも伝えていく。新しい領解文ではご門主だけに見えてしまう。文章に書いていなかったらわからない。なんで消されたのか。仏青の方に尋ねてみた。「こわい」という感想を聞いた。「我が身を崇めよ」と新興宗教のようだと。とてもご縁のなかった方へ伝える文章ではない。真逆に感じる。「執われの心をはなれます」の部分も問題がある。苦しんだり悲しんだり、生きづらさを抱える子ども青年もいる。前向きになれない人もいる。身を切られると感じる方もいる。

A 師徳について。説明があってはじめてわかるという所に問題があるのはわからなくもない。ご開山聖人、歴代宗主、そのご教化によって多くの方々が念仏のみ教えに出あっていただいた、それを同行善知識として我々の800年の歴史として、遠き宿縁として私に届けられた、繋がっているという理解。(満井所長)

Q お聖教の出拠は。私の上でどう確認できるのでしょうか。それが領解になるのか。

A 生死即涅槃。『論註』の善巧摂化章において、仏の智慧の眼によって衆生の虚妄の実相をご覧になれば必ず慈悲に展開するという文がある。それが私たちに呼び声となって届けられた根拠。私どもにおいて、結論から言うと。ありがとうといただいて、と機受の受け止めが語られる。(満井所長)

Q 学習会でたくさん反対がある。総局はそれをPDCAサイクルでいかすのか。

A PDCA。新しい領解文推進については、企画諮問会議にてチェックされる。各教区の声は届けている。(中井部長)

意見

・新しい領解文となっている。私は重みを持って受け止めている。これは新しい領解文だから全く新しいものとして受け止めている。とはいえ精神は受け継ぐとされている。冒頭にも南無阿弥陀仏と書いてある。教義上のすべてが内包されている。新しい領解文を否定する事は阿弥陀様を否定するのではないだろうかとも思う。

・とてもわかりやすいと思わない。

・私はこれを領解文として一切認めない。

・公開討論会を開催していただきたい。

・この学習会が喜びに満ちたものであるのか。



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