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改悔批判に「新しい領解文」を依用

本願寺において2024年1月9日より御正忌報恩講がはじまりました。自身の信心(安心)が浄土真宗の信心であるかどうか、その正邪を判断することに始まる儀礼「改悔批判(がいけひはん)」が9日の初夜勤行で行われました。蓮如上人の『領解文』を依用するのが慣例ですが、今回の改悔批判では、本来の『領解文』を出言(しゅつごん)し、『新しい領解文』を唱和させる新形態で執り行われました。

本来の『領解文』は低頭(ていとう、深々と頭を下げる姿勢)で出言し、一方『新しい領解文』は合掌して頭は下げずに前を向いて唱和する作法は対照的に見受けられました。「外陣」と呼ばれる一般参拝者が座る場所に総長や総務が座って『新しい領解文』を唱和する場面では大きな声を響かせましたが、『新しい領解文』が終わり、正信偈のおつとめの時には立ち去ってしまって姿はありませんでした。お御堂中央で座られていたので、終わればおつとめもせずに立ち去る様子は何を進めて行きたいのか疑問符が浮かぶ光景でした。

与奪者(ご門主の代理)として満井秀城勧学が行った改悔批判は、専門的な内容ではありますが浄土真宗の教えの根幹に関わる問題ですので、取り急ぎ、初日の改悔批判の内容を共有します。


従来の領解文に関する説明

本日のお逮夜より、きたる16日のお日中に至るまで、例年の通り、宗祖親鸞聖人の御正忌報恩講が厳修されます。このご勝縁に際し、ご門主様のお手代わりとして改悔批判の尊命を賜りましたこと、誠にありがたく身に余る光栄に存じます。本日より15日初夜までの6席にわたり、宗祖親鸞聖人のご事績を味わってまいりたいと考えています。

本年はちょうど立教開宗800年にあたります。『顕浄土真実教行証文類』「化身土文類」聖道釈において末法を起算される年として「元仁元年」と記されてから、まる800年が経ちます。800年前と現在とで何が一番変わっているであろうかと考えた時、私の思いでは「生死いづべき道」が課題になりにくくなっていると感じます。今の時代は少なくとも物質的には便利で快適なので、信心や念仏などなくても何の不自由もないと思われている人が多いように思います。生死いづべき道が課題にならない人には、さとりも浄土も響きません。浄土が理解できない人には、宗祖親鸞聖人が開かれた現生正定聚の意味や意義も全く理解できないでしょう。現代はこういう負の連鎖に陥っているように感じます。善導大師が示されたニ河譬では「人ありて、西に向ひて」(註p.223)と西方願生が出発点になっています。しかし現代人はこの西方願生さえないのが偽らざる実情かと窺えます。何の不自由もないと考えている時の自由とは、どういう意味で用いているでしょう。おそらく自分の思い通りになることを自由と考えているでしょう。若い時には簡単にできたことが年をとってくると思うように体が動かない。あるいは若くて元気があり余っている時には、学校の規則が厳しかったり家庭の躾が厳しいと不自由を感じます。つまり自分の思い通りにいかない時に不自由を感じ、自由とは、自分の思い通りになることだと考えているようです。しかし仏教では、自分の思い通りになることを自由とは考えません。自分の思い通りになるとは、欲望という煩悩に支配された、これも1つの不自由です。だからこそさとりを求め、仏道を歩むことに意味があるのです。現代人に対してはこういう価値観の転換が求められます。西方願生の出発点にすら立てないでいる人たちは、み教えを聞こうという思いも湧かないでしょう。

そのような時代に私たちはどうやってみ教えを伝えていけば良いのでしょう。蓮如上人のお言葉に「尼入道のたぐいのたふとやありがたやと申され候うをききては、人が信をとる」(註p.1262)とのお言葉があります。お念仏喜ぶ姿が人々に信をもたらすのです。我が心の立脚点は何なのか、我が心をどこに安置するのか、安心とは心を安置するあり方のことです。親鸞聖人は「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て」(註P.473)とご自身の心の立脚点をご本願に置く生き方を示され、それが多くの人々に信を与えてくださったのです。各自各々の安心のあり模様が、人々に信を与えうるのです。一同に領解を出言なされよ。

もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候えとたのみまうして候ふ。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。

『領解文』(註p.1225)

ただいま出言の領解、心口各異ならざれば、誠にうるわしいことであります。この『領解文』は、古来、安心・報謝・師徳・法度の4段に別かるとされています。まず最初の「もろもろの雑行・雑修・自力の心をふり捨てて、一心に阿弥陀如来われらが今度の一大事の後生御たすけ候えとたのみ申して候」は、安心の1段であります。雑行とは、正行に対し、阿弥陀仏以外に向かう行業のこと。『高僧和讃』善導讃では、「浄土の行にあらぬをば ひとへに雑行となづけたり」(註p.590)と示されています。雑修とは、同じく『高僧和讃』善導讃に、「助正ならべて修するをば すなはち雑修となづけたり」(註p.590)とあり、正定業たる他力の称名と助業との区別がつかない助正間雑のあり方のことで、この和讃では最後に「仏恩報ずるこころなし」と報恩の思いがない、つまり自己の行業に手柄を認める自力行であると規定されています。改悔と言われる所以は、この自力心が命終し、他力心への帰入がなければなりません。それが「自力の心をふり捨てて」であります。そして他力信心への帰入が「御たすけ候えとたのみ申して候」です。「御たすけ候え」は、文法上、命令形ですから、この意味を助けてくださいと理解されてしまうことが少なくありません。実際学者と言われる方々でさえ間違いを犯した歴史がありました。しかし『帖外御文章』には「佛たすけたまへとはおもふべからず」(聖典全書5巻p.229)とのお示しもあり、一見矛盾するように見えるかもしれません。古文文法では、命令形には請求(しょうぐ)と許諾(こだく)の2つの意味があります。現代文ではもっぱら請求の意味で用いられているため、請求の意味に取り違えてしまいます。『帖外御文章』に示される「佛たすけたまへとはおもふべからず」はこの文脈での用法で、当時、浄土宗一条流で盛んに用いられていた「心存助給口称南無」の請求の意味を否定しておられるのです。一方、許諾だと、「それならそうしてください」という意味です。つまり、必ず救うとの先手の喚び声に許諾するのです。どうしてそう言えるかというと、「たすけ候え」が「たのむ」と直結しているからです。「たのむ」は親鸞聖人の用例では、任せる、委ねる以外の意味はありません。依頼するという請求の意味はなく、許諾の意味しかありません。この「たのむ」と直結させることによって、当時、請求の意味で流布していた浄土宗の用語を一瞬で許諾の意へと転換されたのです。

この安心の1段において、「たのむ一念」すなわち信一念の即時に、「往生一定・御たすけ治定」ですから、「この上の称名は、御恩報謝と存じよろこび申し候」という報謝の1段へと続くのです。第18願では、信心と称名の2つが誓われていますが、信心が正因で称名は報恩です。この信心正因称名報恩という安心と報謝の道理を知らせてくださったのが、「御開山聖人御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩」という師徳の1段へとつながり、最後は法度の1段となります。悪人正機ならどんな悪事を行っても構わないという造悪無碍の考えは許されません。念仏教団の品位を保つにも、自己規制が求められるでしょう。

新しい領解文に関する説明

さて、この『領解文』の良き伝統を受け継ぐという趣旨で、昨年の御正忌報恩講御満座の席に、ご門主様から『新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)』がご消息として発布されたことは、皆さんよくご存知でしょう。せっかくご制定いただいたこの『新しい領解文』の内容にも触れておきましょう。

まず第1段、冒頭は「南無阿弥陀仏」という弥陀の喚び声から始められています。我が心の置き所、一心帰命の安心は、南無阿弥陀仏のお喚び声から起こるのです。帰命は本来、私たち衆生の持ち分です。『正信偈』にも「帰命無量寿如来」とあるように、無量寿如来に帰命するのは私たち衆生です。しかし宗祖親鸞聖人は、私たちの帰命の一念も阿弥陀仏からの喚び声によって起こされていると気付かれました。行文類には「帰命は本願招喚の勅命なり」(註p.170)と明示されます。その喚び声とは、2行目に示されるように、「われにませよ必ず救う」という招喚と摂取です。「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつ」は、生死即涅槃の法義です。仏智見から見れば自他一如として、仏と衆生と隔てるものはありません。それを凡夫の分別心が両者を隔絶してしまうのです。言うまでもなく留意すべきは、『正信偈』では「証知」とあり、あくまでさとりを開いた上での知見です。さらには、本来ひとつだからそのまま救われると理解したら、信心さえ不要となる無帰命安心に転落します。衆生の持ち分である帰命も、根源的には弥陀の喚び声であったように、弥陀の救いの喚び声は、真実の智慧の眼をもって、凡夫衆生の虚妄の実相を知ることによって生じた真実の慈悲の具体的な姿です。仏の知見から凡夫虚妄の実相を如実に知見するから、喚び声という救いの慈悲へと展開するのです。それが「ゆえ」という接続詞の意味であり、「本来ひとつゆえ」は、「そのまま救うが弥陀のよび声」につながるのです。「ありがとうといただいて」は、私たちからは先手の救いに対し、ただありがとうといただくばかりであって、私たちは常に後手だということです。そしてありがとうといただく機受の相が語られることによって、無帰命安心でないこともわかります。「救い取られる自然の浄土」とは、阿弥陀仏の慈悲によって往生させていただく浄土のさとりは、『無量寿経』に「自然虚無の身無極の体」とある弥陀と同証のさとりであることが示されます。このような尊い救いに出会わせていただいた上には、ただ仏恩報謝のお念仏しかありません。ここに言う報謝のお念仏は、報謝行として本願に誓われる称名念仏が示されていますが、私たちの報謝のあり方については、後の第3段でも伺うことができます。

続く第2段では、前段で述べられた安心と報謝のあり方は、宗祖親鸞聖人のご教化の賜物であることを師徳の讃嘆として示されます。言うまでもなく私たちの今日の念仏生活は、宗祖親鸞聖人のご誕生とご教化あってこそだからです。そして、法灯を伝承してくださった歴代の宗主方もそれぞれの時代においてご教化くださり、それによって育てられた多くの先人方がおられ、この800年の歴史の総体を師徳と仰いでおられます。

最後の第3段では、私たち念仏者の生活が示されます。この一段では、冒頭の「み教えを依りどころに生きる者となり」が主文で、ある意味この一行に尽きるとさえ言えるでしょう。宗祖親鸞聖人のご消息に、「仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ」(註P.739)と示されるように、念仏者の歩みは少しずつ変えられていくことが述べられています。私の側には本来なかった穏やかな表情と優しい言葉がなぜか現れてくるのは、お慈悲のお育てによってこそです。和顔愛語は『無量寿経』の中にある言葉ですが、そこでは法蔵菩薩の六波羅蜜の修行の徳目として説かれてあり、これを私たち衆生に単純にスライドすることはできません。私たちにおいて六波羅蜜の修行ができるはずはなく、功徳を積む自力のあり方でもありません。阿弥陀仏の48願のうち、第33願を「触光柔軟の願」といい、阿弥陀仏の光に出遇った者は、身も心も柔軟になるとされています。阿弥陀仏の光に出遇ったものはどうして身心柔軟になるのでしょう。十二光の中に清浄光・歓喜光・智慧光があります。清浄の徳は私たちの穢れた貪りに向けられ、歓喜の徳は私たちの怒りに向けられ、智慧の徳は私たちの愚痴に向けられます。しかも初起の一念だけでなく、後続についても不断光として届けられているのです。機嫌が悪いと不機嫌な表情となり、時には乱暴な言葉さえ投げつけてしまう私ですが、本当に困っている人を見かけた時、なぜか優しい言葉がかけられることがあるのも事実です。その出所は不実な私の心からはありえず、阿弥陀仏のお慈悲のお育てによっているとしか考えられません。このような阿弥陀仏のお慈悲によって育てられた内発的変革を、返しても返しきれないご恩に対して、もうこれで良いというゴールを持たない不断の精進をもってするご報謝を、「日々に精一杯つとめます」との決意表明で結んでおられます。決して自力の行を募るものではなく、法律や道徳や掟で縛るのでもない。他力念仏者としての強みがここにあります。蓮如上人は、「こころにまかせずたしなむこころは他力なり」(註p.1250)と示され、私の心の主を欲望という煩悩ではなく、南無阿弥陀仏という他力の念仏に置くあり方が示されています。それではご一緒に『新しい領解文』浄土真宗のみ教えを唱和いたしましょう。

南無阿弥陀仏
「われにまかせよ そのまま救う」の 弥陀のよび声
私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ
「そのまま救う」が 弥陀のよび声
ありがとう といただいて
この愚身をまかす このままで
救い取られる 自然の浄土
仏恩報謝の お念仏
これもひとえに
宗祖親鸞聖人と
法灯を伝承された 歴代宗主の
尊いお導きに よるものです
み教えを依りどころに生きる者 となり
少しずつ 執われの心を 離れます
生かされていることに 感謝して
むさぼり いかりに 流されず
穏やかな顔と 優しい言葉
喜びも 悲しみも 分ち合い
日々に 精一杯 つとめます

『新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)』
1/12中外日報

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