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冊子の責任(宮崎教区学習会①)

昨年度開催が未定となっていた宮崎教区の学習会は、6月11日に開催されました。質疑応答を数回に別けて掲載します。

約仏と約生の誤用

Q 寺本副所長の説明は、説明になっていないように思う。今までは満井和上がしていたのに宮崎教区ではそうでない。宮崎教区をなめているのか。

A 重視しているので3人そろって来ている。3月までは私が説明していた。総局直轄の研究所所長職として私が説明していた。4月以降は研究所の職を離れたので、今の正副両所長がここに参らせていただいている。(満井勧学寮員)

Q 約仏の視点という言葉と、仏の視点という言葉の違いを教えていただきたい。

A 同じものと理解している。(寺本副所長)

Q 同じでよいのか?

A 約がついている約仏と仏には当然違いがある。約があるのは仏に約めた場合、つまり仏の視点として見る場合という事である。(満井勧学寮員)

Q 「約仏の視点」という言葉自体が本来は間違えている。約仏というのは同一に成立していることがらについて、仏の側から述べる、衆生の側から述べる、これが約仏、約生という言葉。皆さん方は、この宗学用語の基本的な言葉であるにも関わらず、非常に扱いが粗雑だと思う。大田和上にお聞きする。宗会での説明の時、もしくは新聞紙上で約仏廃立という言葉を述べておられたが、どういう意味なのか。

A 約仏廃立と言ったのは、約仏、約生が出てきた、あるいはそれに関係する用語として、約仏廃立や約生廃立という言葉を出した。(大田所長)

Q 約仏廃立という言葉自体がない。約機廃立、約法廃立であればわかる。なぜ約仏廃立と言ってしまったのか。新聞紙上に載っている。もう少し、本願寺の代表でお話になるのだから・・・。私はご本山をご門主さまを大切に思っている。あなたの発言が本願寺を傷つけていく。

A そうです、いま、私の・・・はい。 (大田所長)

Q では約機廃立、約法廃立の意味は何か。

A 諸行を廃して念仏一行をとるという時に、機の側から言う場合と法の立場から言う場合と、そういう風に理解している。(大田所長)

Q 約機廃立、いま機の側と仰ったが、時代と機根である。時機が相応していないから廃するという風に見るかという事。そもそも皆さん方、約仏、約法、約生をいいかげんに使いすぎ。この満井和上の冊子については、ひどい引用の仕方をしている。私は梶山雄一先生、村上速水和上の教え子として許す事はないと思う。一つお聞きする。冊子のⅡ、P8からP9。内容の話ではない。「回向の思想は空の論理なくして成り立たない」とあって、その後に、「空の思想は必然的に不二の思想に導いてゆく。(中略)一見対立している二つのもの、例えば煩悩とさとりとはともに空であるから、本質的に不二であると念を押されている」と書いてある。実際の先生の本では、順番は逆。「空の思想は云々」という方がP18。それから「回向の思想が云々」という方がP19に載っている。先生の『さとりと回向』これは非常に名著だと思っている。空、回向という事がとてもわかりやすく載っている。どうしてこのような歪んだ言い方をしているのか。

A 引用の仕方が逆になっているという事について、私に他意があったわけではない。研究所の方で資料を作る時に、この順番で、私が点検をぬかっていたという事で、失礼した。(満井勧学寮員)

Q では、研究所の方では、どうしてこのような事をしていると思われるか。

A 研究員がどうして前後を逆にしたかは、私の想像の範囲をこえるところ。(満井勧学寮員)

Q 前後を逆にしただけではなく、「念を押しておられる」と書いて印象操作をしている。他でも切り取り操作をしている。季刊せいてんにも、自分の文章の後に先学方の文を並べてあった。あるご住職が泣きながら季刊せいてんを持って来られ「うちの先生はこんな事は言っていない」と話された事もあった。切り取った挙句、あんな風な利用のされ方をする。今回の満井さんの冊子でたくさんの方が悲しんで憤っている事をまず了解していただきたい。しかも内容の理解ができていない。

A 無回答


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