見出し画像

りょうってどんな人?

本noteを開いてくださり、
ありがとうございます!

女子と楽しく話せる情報を発信をしてます
りょうと申します。

今回は、
僕の自己紹介と過去の成長エピソードを
ご紹介します!

このnoteを読めば、
以下のようなことがわかります。

人口の約半分は女性です。

女性と話せないってことは
「約38億人」
と話せないということです。

勿体ないじゃないですか

僕は楽しく話せるようになって
”幸福感””自分への自信・信頼性の向上”
を感じられました。

これは僕自身が
体験したことなので間違いありません。

自分に自信がないとか男子しかいないから無理
だとか思ってませんか?

僕も工業高校にいた頃は
「もう無理だ」と、
「もういいや」って投げていました。

でも、
そんな僕でも分からないなりに調べたり、
挑戦したり、試行錯誤を繰り返した結果ことで
今に至ってます。

だからこそ、
僕が10年以上かかって克復した経験を生かして、
他の男性にはもっと早く短期間で
女子と話しまくってほしいと思います。

考えてみてください。

「このまま話せないまま青春は過ぎ去り、彼女なんて先の先。周りのカップルを指をくわえて見てるだけの孤独な人生になります」

こんな人生嫌じゃないですか。
みんな女子と話したいですよね?
かわいい子と仲良くなって彼女や奥さんに
したいですよね!

だからこそ、できてる人の行動や仕草を学び、
それを自分なりに落とし込んで
自分の武器にしてください!

遠慮なんていりません。

どんどん盗んでください!

皆さんには少しでも辛い思いをしないよう
是非参考にしていただけたらと思います。


「りょう」ってどんな人?

まずは僕がどんな人なのか、
経歴や仕事など簡単に説明させていただきます。

<住まい>

生まれは静岡県
→18歳で名古屋に一人暮らし
→21歳で岐阜へ移住
→23歳で静岡に戻る(現在)

<仕事>
専門学校卒業後、
印刷会社のゲーム部署で3Dデザイナーとして就職
→モデル制作を2年間したのち退社
→静岡で機械加工のオペレーターとして就職
→自己都合により退社
→接客のアルバイトをしつつ勉強中(現在)

高校時代から接客のアルバイトをしていたので、
その頃に培ったコミュニケーションスキルや
初対面の方との接し方が、
現在の自分を大きく形成しています。

<性格>
・真面目
・落ち着いてる
・めんどくさがり

 いつも静かでワイワイ騒いだりすることが
あまりしないですね。

反抗期も特になく、
いつも家族とリビングで
何気ない会話をしています。

『話せない男』の20年

僕は女性とまともに話せるまで
「20年」
かかりました。

一言すら返せなかった僕が
話せるようになるまでを、
4つの時期に分けてお話していこうと思います!

ざっと4つの時代にまとめてみました。

では、順番にお話していきます。

中学時代 女子から話しかけられても返事のみ

初めて好きな人ができた頃。

部活や行事で
女子と関わることが増えたにも関わらず、
僕は何も変われませんでした。

むしろ前より女子を意識してしまい
余計に喋れなくなりました。

・グループワークに女子がいると喋らない
・授業中は横を振り向けない
・プリントを渡す時下を向いて渡す
・手汗が止まらない

挙句の果てに女子から

「私たちのこと嫌いなの」

と言われる始末。

あの頃の自分の行動は客観的に見て
ヤバかったなと今では思っています。
でも僕にとってそれが精一杯の行動でした。

しかし、
そんな僕でも
女子と話せた思い出が1つあります!

それは高校入試の試験の帰り、
乗っていたバスで2人きりで話したことです!

相手の会話をほぼ聞いてるだけでしたが、
会話とは言えなかったまでも僕にとっては
すごく価値のあるものでした。


あれは今でも忘れられない大切な思い出です。

高校時代 青春のない生活

高校は工業だったこともあり、
女子がほとんどいません。

青春っぽいのは何一つなく、
寂しい高校生活でした。

ただ、転機になったのが
高校2年から始めたバイトです。

バイト時代 女子と話すきっかけ

最初は居酒屋の接客をしてました。
初めてのバイトで緊張し、
最初は
「おはようございます」「お疲れ様」
の挨拶をするだけの日々。

「怖かった」

でも怖くても接客はアルバイト同士の連携が非常に重要で、
無理でも話すしかありませんでした。

話せず仕事ができないまま嫌われる方が嫌だったので、
勇気を緊張しながらも話しました。

2.3ヶ月経った頃
ふと思いました。

仕事の内容だったら女性とでも話せるやんって

「これってどうやって使うんですか?」
「レジの使い方を教えてください」
「何か仕事はありますか?」

多分仕事の話は
先生と生徒のような感覚に近かったから
いけたのだと思います。

教育的だったとしても女性と話せたことは
僕にとって大きな進展でした。

ただプライベートの会話は
全然話せなかったので、
楽しく話すという意味では
まだまだだと思います。

でもこのきっかけのおかげで自信がつき、

「もっと女性がいるところで話したい!」

と思い、居酒屋を辞めて
ファミレスでバイトを始めました。

この選択がより自分を追い込むことに
なるとは知る由もありませんでした。

ファミレスで働き始めて数日。

大きな違いに頭を悩ませました。

それは、1日に入る接客の数が
居酒屋に比べて少なかったことです。

居酒屋の時は、
最低でも3人くらいはいたので
僕が話さなくても周りが話してくれたし、
沈黙の時間がほとんどありませんでした。

それに比べファミレスは人が少ない分
沈黙の時間が多く、
女性と2人でいるのはとても気まずかったです。

でもある人に出会って変わりました。

その人は僕に気を利かせて
色々話を聞いてくれたり話しかけてくれました。
それがたまらなく嬉しかったです。

そこからその人と話すために努力しました。
表情とか見た目は全く考えず、
ただどういった話題なら話せるのか、
どういったことなら興味を持って話してもらえるのか、
と会話の内容に注力しました。

僕がその頃よく使ってたのは

・天気や気温の話
・出身や学校の話
・趣味の話

が主でしたね。

はじめて主体的に話しかけにいきました。

結局日常会話が下手なままバイトは終わってしまいましたが、バイト前に比べて大きく成長できたと思いますし、何より楽しかったですね。

専門時代 女子と旅行に行けるようになるまで


高校を卒業後、
僕は名古屋の専門学校に入学しました。

専門に興味があったことはもちろんですが、
青春を送れず学生を終えるのが
どうしても嫌だったのも理由の一つです。


専門ではバイトの経験を生かして、
一生懸命話しかけました。

そして
1年近くかかって、
初めて女子の友達ができました!

とにかく一言でも会話しようと
がむしゃらに頑張った結果だと思ってます!

初めて女子の友達が
できたときは世界が変わりましたね。

LINEに女子がいるだけでウキウキしません?

バイトも友達の勧めでカラオケという
陽キャの集まりみたいなところにいき、

色々な人と話しました。
話してると少しずつ楽しくなるんですよね。

そこから急成長を遂げました。
公園で花火をしたり、
酒を飲みながらゲームをしたり、
レンタカーを借りてユニバに行ったり
遅い「青春」をおくることがでできて楽しかったです!!


人生の中で最高の思い出になっています♪

これも自分を過酷な環境に放り投げたことと
話したいという気持ちが今の自分を作ったと
思っています。

この経験から僕は

”無理だと思う前に行動する”
”自分が無理だと思う場所に身を投げてみる”
”目標のために諦めないこと”

が大事だと学びました。

絶対に話せない人なんていません。
自分で話せないと思い込んでるだけです。

最後に…

今回は僕の失敗談も含めて、
僕が「女子と話せる」までの経緯を
ご紹介させていただきました。

僕は話す楽しさに気づくまで10年以上
かかりましたが、
自分の経験を生かしてもらうことで、
話せないと悩む人達に
もっと早く結果を出せると考えております。

世の中にはたくさんのものがありますよね。

そのすべては先人が失敗と修正を繰り返して
いいものを作り、
僕たちの生活の支えになっています。

仕事でも先輩が後輩に仕事を教えて、
またその後輩が下の代に教え培っています。

しかし、会話はどうでしょう?

会話というのはその人の性格や趣味、
生い立ちや性別で千差万別です。

成功は多くの失敗を繰り返して
積み重なった先にあります。

その失敗を自分がするより
先に聞けるなら利用しない手はありません。

是非僕の失敗談を踏み台にして
自分の糧にしてください。

自分の人生のためなら
何でも利用するべきだと思います。

少しでも皆さんのお役に立てれば、
幸いです。

この記事にの内容に関して、
質問や相談がありましたら
下記のURLからお問い合わせください

X DM↓

URL
https://twitter.com/ryou_daiippo

公式LINE↓

URL
https://lin.ee/LhbT2sz


公式LINEでは登録者限定で、
僕の成長物語を綴った
無料記事をお渡ししています。

他にもプレゼント企画や
イベント案内なども
行っていきますので、

ぜひご登録ください。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?