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Smart Eye Camera、ブータンへ行く(5)

 Smart Eye Cameraを置いて帰りたいと思った。もちろんそんなことはできない。省庁や眼科医の方々と一緒にプロジェクトを進めて行くのに、ある学校にだけ急にSECが置かれていては話がややこしくなる。各国にはそれぞれの医療にまつわる制度があり、僕達はちょっとややこしいそれらを無視することはできない。書類と会議の嵐を無視することはできない。
 でもSECを置いて帰りたいと僕は思った。そこにはこのデバイスを必要としてくれる人がいたから。

 2つ目に訪問した学校はmiddle secondry schoolという位置付けで、僕達に時間をくれたのは日本でいうと中学生に相当する生徒達だった。爽やかな緑色の壁に囲まれた教室で待っていると、30名程の生徒と先生が入って来て、それぞれ席に座る。
 挨拶や紹介の後、中山さんが先生の目を撮影してデモを行う。それから2、3人の生徒の目を撮影したところで先生に「やってみますか?」と勧めた。先生は落ち着いた若い女性の方で、一瞬だけ躊躇ったあと「やります」と答え、それから中山さんの説明を聞きつつ、1人2人撮影するとすっかりデバイスの使い方を覚えてしまった。彼女があっさりと的確な撮影を行うようになった為、その後の撮影は、中山さんが念の為サポートに付きつつ、全部彼女に任せることにする。

 当初の予定では、人数も多いので中山さんと僕で分担して生徒達の目を撮影するつもりだった。実は僕は身内でしかSECでの撮影を行ったことがなく、知らない子供達の目をどのように撮るのか、中山さんの振る舞いを学ぼうと注視していたが一旦はお役御免になった形だ。
 そこで、例により写真を撮ったり生徒達と話したりすることにした。生徒達にSECがどのように見えているのかも気になっていた。数名に聞いた感じだと彼らはどうやら細隙灯顕微鏡を知らないようだったので、デスクトップ型の診察機器がスマートフォンサイズに置き換わったという文脈はあまりピンと来ないかも知れない。眼科医が13000人以上いて、さらに人口の3分の1以上が近視であり、誰も彼もが眼科へ行く日本とここでは状況が違う(メガネを掛けている人は結構いたけれど)。
「SECをどうやって作っているのか」など色々と質問をしてくれる男子生徒がいて、ついついここでも3DCADの話をする。それからこの後僕達が訪ねる予定のFabLab(デジタル工作機器を備えるシェア工房のようなもの)のことも話した。ブータンにはファブラボがいくつかあり、ここティンプーにはSuper FabLabというその名の通りスーパーな設備を持つファブラボがある。少しでも何かを作ることに興味のある子供達には知っておいて欲しいと思った。

 背後から「握手してって言ってます」と声が聞こえ、振り返ると丸い机を囲む5人の男子生徒がこちらを見ている。呼ばれるまま彼らの机に行くと、多分障がいがあり少し言葉のおぼつかない小柄な生徒が1人いた。隣の生徒が彼の言葉を英語に翻訳して僕に伝えてくれる。先ほど僕を呼んだのも彼だった。
「握手って言ってます」
 小柄な方の生徒が、やけに堂々とした態度で手を差し出し、僕達が握手をすると周囲が笑いに包まれる。
「名前を聞いています」
「良太という名前です」
「僕の言っていることが分かるかと言っています」
「全然分からない、ゾンカ語だよね?」
 丸刈りでメガネを掛けた生徒が立ち上がって別の机から椅子を持って来てくれる。隣の机の女の子も席を詰めてくれ「どうぞどうぞ」と場所を作ってくれた。色々と中山さんに任せきりにしていることもあるし、一瞬「仕事中だから」と断ろうかと思ったけれど、折角なので勧められるまま僕は椅子に座ってしまった。
 子供達と並んで座ると机に置かれた教科書が気になり中を見せてもらうと、勿論それは英語で書かれており内容も日本の中学のものよりずっと高度だった。
「もしかして、今日は普通に生物の授業だったのが、僕達が来たから急に目の診察の時間になった?」
「そうそう」
「そうなんだ、それはありがとう」
 日本の中学校の話などをしていると、同行して頂いている保健省の方がやって来て「他にも診て欲しいと言っている人たちがいるのだけど、このクラスの生徒が終わった後、障がいのある子供達も診てもらえるか」と言った。既に教室の外で待機中だという。中山さんも絶対にオッケーと言ってくれると思ったので「もちろんです」と返事を返す。

 クラスの生徒達の診察が終わり、彼らが出て行った後、外で待っていてくれた子供達とそのお母さん達が教室に入って来た。2、3人だろうと思っていたら10人位の子供達が来てくれたのでびっくりする。みんなに席についてもらった後、中山さんがSECの紹介と目の撮影をした。素人目にも目の異常があるだろうと思われる生徒もいて、お母さん方の表情も真剣そのものだ。記録の為にも写真を撮るべきだったのだが、僕は写真を撮ることができなかった。
 今まではスクリーニングという位置付けで、なんだかんだと愉快にやって来た。子供達も照れたり笑ったりしながら協力してくれていた。でも今は違う。眼科に掛かって子供の目を治したいという切実な思いが空気に重みを加えている。ここはシリアスな医療の現場だ。もうSECを置いて帰りたいと思う。撮影は先ほどの先生がマスターしているので、彼女がいれば、そして彼女が使い方を教えればデバイスはここで問題なく機能する。
 もちろん、それで問題が解決する訳ではない。SECで診察した後は、それに応じた治療が必要になるし、その治療はもしかしたら手術かもしれない。僕達はまだ治療を提供できない。誰もが診察と治療を受けることができる世界を作るには長い道のりが待っている。でも人々の診察を行わないことには何も始まらないのも事実だ。特に今まで医療にアクセスすることが難しかった人達の診察を行い、どこにどのような病気に苦しむ人達がいるのかを明らかにしていかないと、世界の医療網を的確に変えていくことはできない。
 

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