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ロマンチックで構わない

 9月の終わり、明るい太陽もやっぱり高くは登らず、日焼け止めを塗った肌に空気はちょっとだけ涼しい。由比ヶ浜から上がってきて住宅街の中、江ノ電の駅に向かって歩く観光客の軽装が、9月はまだ夏なのだと心を少しほっとさせる。今年は夏の終わりがそんなには寂しくないなと思っていた。全身を覆い尽くす太陽の光と熱気と湿度から開放されることはそんなに悪くもないのではないかと。でも、もちろん結局は少し寂しい。
 南へ向かう小道の先は海と134号線で、角には「ナンリーショップ」がある。この日、僕たちはナンリーショップで永井宏さんの写真をたくさん見た。
 逗子に住んで3年半が過ぎたが、この日まで僕は永井宏さんのことを知らなかった。永井さんは僕がこの町へやってくる前に亡くなっていて、知らないのも無理はないのかもしれない。しかし、時々訪ねるお店や、時折名前を耳にする人や物事の中心に永井さんという人がいたのだという事実は、これまであまり気にすることのなかった逗子や葉山の最近の歴史に目を向けるきっかけとなった。当たり前のことだけど、今この地域が持っているある雰囲気は、ある時期にある人々が、店を作ったりイベントを開催したりして、そういう営みの重なりで構築されてきたものだ。

 写真展の壁に並んでいた写真は、永井さんが23歳の時に西海岸で撮影したものだ。写真に焼き付いた1974年のアメリカは、僕が生まれる前の世界であるにも関わらず、やはり懐かしく、美しかった。それは半世紀も前の世界であり、同時に23歳の世界だった。
 永井さんの著作も気になり、その場で1冊、帰りにアマゾンで2冊を購入した。
 一冊のタイトルは「ロマンティックに生きようと決めた理由」というものだ。タイトル自体は永井さんが付けたものではない。この書籍は永井さんの周りに居た人々が文章を持ち寄り構成されたもので、永井さん自身は短い一遍を寄せて編者というスタンスになっている。それぞれの寄稿は、また短い文章の集まりだったりして、通読するというよりも言葉を拾うような本だが、何よりタイトルは一際強烈だ。
 なぜなら、僕はいつの間にかロマンチックではなくなっているから。
 ロマンチックという曖昧な言葉を、どのように意味付けるかは人によって異なるだろう。でも自分がロマンチックかどうかは誰でも分かる。僕はロマンチックではなくなっている。ロマンチックに生きようと思っていた筈なのにすっかり忘れている。今度は忘れないように恥ずかしくとも言葉を使おう。
 僕はロマンチックに生きようと決めた。No matter what.

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