日本語の語感と西洋の音楽
唱歌「朧月夜」は今の季節にぴったりですが、この曲を演奏するたびにいつも気になります。
この曲、何拍目から始まってるの?
小学校で習うこの曲、僕は当然1拍目からだと思ってたのですが、3拍目からはじまるアウフタクト!というのを恥ずかしながらつい最近知ったんですよ😳
[な]のは〜な
[ば]たけーに
[い]ーりーひ
[う]すれ〜
だと思ってたんですが、その方が歌詞の語感と合います。
ただし、ハーモニーに関しては大いなる違和感を感じませんか?特に3、4、8、16小節目のA-D。これはハーモニックリズムの強拍の位置にドミナントが来るためです。
通常、ドミナントコードは西洋音楽的感覚では弱拍にドミナントコードが来て強拍のトニックコードへ落ち着こうとします。ブランコで例えるなら後ろにいる時がドミナントコード、前に行った時がトニックコードです。また、他の小節も2拍目でサブドミナントが来たりしていて何となくしっくりきません。
基本的に昔の日本の曲ってアウフタクトはまずないものだと思い込んでいたんですが、そうでもないんですよね。
正しくは
なの
[は]〜なばた
[け]ーに、いー
[り]ーひうす
[れ]〜
になるんです。
音楽に合わせると日本語的には合わないですよね?
おそらく明治から大正にかけて入ってきた西洋音楽の影響でしょう。
日本語には冠詞や前置詞がないので、アウフタクトになりにくいんです。逆に英語のa, the, when, what, などは拍の頭には来ないので、アウフタクトが生まれます。
また、先ほどのアウフタクトではないハーモニーに比べてこちらは音楽的にはしっくりきます。
このことから「日本語の歌詞と西洋音楽のメロディー・ハーモニーの不一致」が起こっているということになります。
このことを色々と調べると、面白い論文に出会いました。
📖デクラメーションから読み解く《朧月夜》の伴奏法
http://repository.center.wakayama-u.ac.jp/files/public/0/3321/20180820134654763261/AN00257999.68(2).49.pdf
こうやって文章にするととても美しい歌詞ですね。
しかし楽曲に合わせると語感が8-6(4-4-3-3)の歌詞がメロディやハーモニックリズムと完全にずれてしまっていて、本来の日本語の意味が分かりにくくなっています。
「朧月夜」は1914年(大正3年)で西洋文化が花開いていった時期ですのでクラシック音楽の影響を受けていると思われます。
作曲者の岡野貞一氏はたくさんの唱歌、特に学校の校歌を作曲していますが、クリスチャンとして洗礼を受け教会でオルガンの奏法を習っていました。
岡野氏が作曲したもので他には「ふるさと」「春が来た」「春の小川」「もみじ」など日本人なら誰もが知っている唱歌ばかり。これらは全て1拍目から始まっていて、日本語の歌詞がメロディとピッタリ合います。
ただし、西洋的メロディと日本語のフレーズが音楽的・意味合い的に合致するかというと少し違います。
例えば「ふるさと」では日本語が
「うーさーぎー追ーいしー、かーのーやーま〜」
と
「こーぶーなーつーりしー、かーのーかーわ〜」
で一対のフレーズが生まれますが、西洋音楽的なリズム「1・2・3、2・2・3」を適用すると2小節で1フレーズです。それだと「うーさーぎー追いしー」で日本語のフレーズが終わってしまうため、楽譜には8小節間クレッシェンドとデクレッシェンドの表記があります。
なるほど、歌詞とメロディの関係性が一致しない所をこのようにすれば上手くまとまりますね。
この論文を読むと、大正初期に西洋音楽のメロディに日本語の歌詞をつけることの難しさやそれを試行錯誤する過程が読み取れます。
朧月夜の歌詞は楽曲がアウフタクトではありますが、クレッシェンド・デクレッシェンドが歌詞に対してついているので、歌詞に対して音楽表現がズレることになります。
西洋音楽的な表現をするのであれば1拍目が最も強くなり、
なの[は]〜なばた「け」〜に
となりますが、日本語のフレーズに合わせると「なのは〜なばたけ〜に」で一つのフレーズになり、「なのはな」と「はたけ」でクレッシェンドとデクレッシェンドをします。
音楽を意識して歌うとアウフタクトの後の1拍目は特に強くなり「なのは〜なばたけーに」となってしまいがちですが、日本語の語感やフレーズ間に合わせると「なのはなばたけ」が一つの単語となり
のようになります。
音楽理論的なアプローチを意識することも大切ですが、日本語の歌詞を歌う時は西洋音楽的な感覚だけではなく日本語のフレーズ感も意識してみてはいかがでしょうか?
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