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「待つ」の趣き

歳を重ねると、「待つ」の楽しみ方を心得るようになります。

若い時は、待てなかった。目の前の結果をすぐに求めてしまうんですね。結果を求めることが悪いわけではありません。むしろ「結果」は意識した方がいい。省みることがなければ、成長はできません。では、何が違うのか。

「待つ」という、ゆとり

「すぐに」でなくともいい、と思える。つまり、「保留」の概念が生まれるということです。それは、「待つ」につながるこころのゆとりかもしれません。

あたり前のことを言いますが、うまくいくことはうまくいき、うまくいかないことはうまくいきません。自分の意志が及ばない外部へ期待しても仕方がないのです。物事にはタイミングがあります。自分のタイミングもあれば、相手のタイミングもあり、世の中のタイミングもある。全てが自分の思うがままには進みません。あらゆる偶然や機会が重なって、実るもの。

待てなかったばかりにうまくいかないことさえあります。言い換えれば、「待つ」さえできれば、なめらかに進むことがある。それを知ると、積極的な「待つ」の姿勢でいることができます。

四季の繰り返しの中で、だんだんわかることがあります。それは、一度「保留」された事柄が、再び動きはじめることがある、ということ。以前になくなった話が、巡り巡ってはじまりを迎える。思えば、人生にはそのようなことがいくつかあります。これは、年を重ねなければわからないことです。

つまり、ご縁のなかったと思い込んでいた話でも、ただ機が熟していなかっただけなのかもしれません。良きタイミングで、それは向こうから訪れます。

さて、このようなことが起きてくると、いよいよ「待つ」の重要性に実感が伴ってきます。機が熟すまで、待つこと。自分のタイミングと、相手のタイミングと、世の中のタイミングが重なる瞬間を見極めること。「今」はダメでも、「これから」はわからない。

そう思えるようになると、その時に答えは出なくとも、「待つ」が苦でなくなります。むしろ、未来に発芽するための種を蒔いている感覚で、「待つ」を楽しむことができます。

「待つ」心得

自分のタイミング、相手のタイミング、世の中のタイミングのうちに、深く関与できる「機」は一つだけあります。当然、「自分のタイミング」です。大事なことは、外部のタイミングをいつでも受け入れる状態をつくっておくこと。

良い報せは、いつだって突然訪れます。それを掴むことができるかは、自分のタイミング次第です。手にするための技術や状態を整えておくことも重要です。それは、普段から準備しておくこと。相手のタイミングに、いつでも合わせることができる自分でいることができれば、機を逃さずに済みます。

あの時、うまくいかなかったことでも、「待つ」の間に準備を整えてさえいれば、両手をひろげて再会を迎えることができます。

「待つ」は、未来に咲く花々とつながっています。無理に今、答えを出そうとしなくてもいい。「いつ、どのような花を咲かせるのか」と、こころときめかせながら種蒔きをする。

「待つ」には、そのような趣きがあります。



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