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これはレターである
手紙が届く。
紙で、メールで、リプライで、あるいは、わたしの文章にことばを添えて。仔犬を抱きかかえるように丁寧に、込めた力を全体にやわらかく広げながら、読ませてもらう。とても、うれしい。
様々な理由で(主に時間的な)、返事できない時もある。でも、ちゃんと読ませていただいている。わたしの文章が、その人に渡り、その人の人生とリンクしてゆく。そこで起こる小さなドラマに胸が熱くなる。
その小さな物語の一つひとつを聴かせてもらう(読ませてもらう)のが、わたしのしあわせな時間の一つ。宛先のない手紙は、いつしか誰かの元に届き、何かが生まれ、わたし宛の手紙が綴られ、ポストされる。知っている誰かと、あるいは、知らない誰かと。わたしは日々、手紙を送り合っている。
そう考えると、わたしは毎日、この世界に生きる誰かと対話をしている。その人は日々を営み、大切なものがあり、それぞれの悩みを抱えていて。そこに、わたしはいない。あるのは、わたしの書いた文章だけだ。時間を超えて、わたしは“あなた”と対話する。
対話とは、一対一の関係性を築く行為。関係性という名の“物語”を、二人で編み上げる。わたしたちの小さなナラティブ。
それだけでも、わたしが毎日、休まずに文章をインターネットに放流していることの意味がある。「返事が届く」ということは、わたしの手紙が“一方的”ではなかったことの証なのかもしれない。受け取ってくれた人の思考と融合したり、記憶とリンクしたり、感情にグルーヴを生んだり、余白を想像で満たしたり。
これからも、手紙が届く文章を書いていきたいな。知らないどこかで対話が起きる奇跡を味わうことができるから。
紙でも、メールでも、リプライでも、あるいは、わたしの文章にことばを添えてでも。わたしがお返事を書けない時もあるかもしれません。ですが、とても楽しみに読ませていただいています。ありがとうございます。
これからも、ぜひお気軽にお手紙いただけるとうれしいです。
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。