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可憐なる愛情のエチカ

妻と出会って十五年になる。

今でも変わらずに仲睦まじくいられるのは、二人で育んできた時間と感情のおかげだ。彼女と出会い、共に過ごす中で、関係性の築き方を学んできた。尊重すること、大切に想うこと、感謝すること。共有した時間、積み重ねた記憶、伝えてきた想い。

彼女からいただいたものはたくさんある。自分の中であふれだした、豊かな感情たち。彼女の表情を見て、考え方を知って、振る舞いに学んで、感性に共鳴して、生き方に惹かれて。自分の中に眠っていた“感情の種”が、一つひとつ芽吹いていった。今まで知らなかった“自分”が、茎を伸ばし、葉を広げ、花を開いてゆく。“わたし”は、彼女に育ててもらったのだと思う。

彼女を大事にしたい。流れる歳月の中で、蓄積されてゆくもの。彼女への想いは、日に日に増している。それが、わたしのアイデンティティなのかもしれない。

鎧を脱いで、やわらかな肌を見せる。

それは、信頼しているからこそ、できること。完璧な人間はいない。誰もが未熟であり、互いが支え合って生きている。そして、そのフラジャイルな部分を、わたしたちは固い鎧で隠して日常を送っている。傷つかないよう、あるいは、明日も健やかに暮らせるよう。

愛することのすばらしい側面は、相手のやわらかな肌を守ることにある。触れると崩れてしまう脆弱な部分を、やさしく受け止める。“弱さ”を受容し、理解して、慈しみ、外敵から守ること。それが、「愛する」という行為の尊さの一つだとわたしは思っている。

相手に鎧を脱いでもらうことは容易なことではない。誰も、自分の“弱さ”を見せたくはない。それが好意を抱く相手なら、なおさらのこと。時間をかけて、信頼関係を築いてゆく。強引に鎧をはぎ取ってはいけない。ゆっくりでいい。自分から脱ぐまで、待っていればいい。“わたし”という受け入れる器があればいいのだ。

時折、しとやかな柔肌を針で突いてからかう人がいる。そのようなことをしてはならない。目の前の笑いほしさに、相手の弱みを指摘する。これほどの愚行はない。“わたし”は、相手にとっての安心できる最上の存在であるべきなのだ。

わたしの前で、素直でいてくれる彼女を愛おしく想う。

あどけなく笑う表情こそが、わたしに充実した時間を与えてくれる。小鼻を膨らませながらはりきる姿も、自分では整理できない感情に戸惑う姿も、すべてが彼女という人間を形成する大事な要素なのだ。


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