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「読むこと」は教養のエチュードvol.14

2020年を迎え、僕からプレゼント。全ての作品を紹介させていただきます。結果発表はその後。みなさんが送ってくれた僕宛の手紙にお返事を。「わたし」と「あなた」がつながる。それはコンテスト開催の応募要項に書いたことの証明。

このコンテストにおいて、僕は「最良の書き手」でありながら、「最良の読み手」であることに努めます。

それでは、『「読むこと」は教養のエチュード』のvol.14です。



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92.2035、青い光、ミライを見た私 

Kojiさんの作品。クマキヒロシさんとのコラボレーション作品のB面となります(くまきさんの作品はA面)。お二人の企画、両作品ともをこの教養のエチュード賞の応募作品に選んでくださり、心より感謝します。

Kojiさんって絵を描くことがメインの人だと思っていたのですが、文章がすごくよくて(それは前回作品でも驚かされたのだけど)。僕の中ではれっきと「文章の人」として見ています。

テーマの掲げ方が文学的だし、結末に向かう疾走感は気持ちいい。ヴィジュアルと心象の両方を描くことができるということがKojiさんの強みだし、僕が好きなところ。内側も考えることができるし、外側も考えることができるんだ。

クマキさんの作品とのリンクする点が華やぐ様子も楽しみながら読んでみてほしい。



93.渡せなかった手紙

すーさんの作品。「あなた」へ向けた素敵なお手紙。この上品なときめき。何だろう。とても実際的な生活の匂いを感じるのに上品なんだ。それは距離感の問題なのかもしれない。「私」と「あなた」の距離かもしれないし、「書き手」と「読み手」の距離かもしれない。そこが近いはずなのに、一定の距離感を保ちながらこちらへと届く。とても上品だなと思った。これはね、「意識」とかの問題じゃないと思うんだ。すーさんの核心的な部分であり、魅力だと思う。

愛おしい日々の積み重ねから、次第に豊かになっていく感性。人と人との間に起こる素敵な現象。それは大切にしたい時間と美しい思い出となる。




94.うちのオムライス 

ちよこさんの作品。これはね、過去の話じゃなく、今なお同時に進んでいるお話で。お母さんが作るオムライス。それはまさに「母の存在そのもの」。

振り返った時に、それは特別な存在になる。喜び、哀しみ、ぬくもり、安心、日々の何気ない蓄積。今いる場所から振り返ると、何に心が動き、安らぎを得ていたのかに気付く。もちろん母親は言うまでもなく特別な存在。

ここで多くを語りたくない。できればちよこさんのこの作品を読んでみてほしい。そこには〝あるがまま〟の言葉が並んでいる。それを僕たちは読み手は〝あるがまま〟に受け取る。この縁を大事にしたい。




95.あなたとの思い出をここに綴じよう

戸崎佐耶佳さんの作品。「彼」との思い出を綴る。「彼」と言っても恋人ではない。小学生からの友だち。もうね、読みながらドキドキした。この気持ちや体験は宝物。自分自身を築く大切な要素だ。

やっぱり実体験は強い。経験したこと、そこで湧き起こった感情、そこで培われた想像力。いろいろなものを総動員して文章ができあがる。美意識なんかもうそう。「体験」はエネルギー源だ。感受性と表現力で過去と現在を磨いていきたいな。

これからの物語も楽しみです。




96.シュレディンガー殺人事件(ショートショート) 

はつみさんの作品。おもしろかった。観客が参加型の舞台を観劇しているようで。小説でもこんな手法があるんだ。メタ構造のミステリー小説(あまり書き過ぎるとネタバレになるから書けないのが残念!)。

自分の趣味と関係なく、たくさんの作品を読んでいるとこういう出会いがある。このひょんな出会いがおもしろいし、刺激になる。はつみさんの他の作品も読んでみたいな。



97.飛び抜けた才能

アセアンそよかぜさんの作品。ベートーベンを題材にした小説。以前からベートーベンには関心があって(世界初のアーティストと呼ばれているよね)、だからとても興味深く読ませていただいた。

見どころのあるシーンを見事に4000字にまとめられていて驚いた。よくあるネットのまとめ記事みたいなものではなくて、ちゃんと物語になっていて、そしておもしろい。臨場感は書き手に委ねられるから、アセアンそよかぜさんは、文章を書くのがとても巧い人なんだ。他のシリーズも読んでみたくなる。

素敵な出会いだった。



98."Good Bye"10年前の神戸ルミナリエ 


minority 蝉緒さんの作品。僕、こういうモテている人の目線って嫌いじゃないんです(嫌いじゃないなんていう表現は失礼だけど)。文章がキラキラしている。それって才能だと思うんですね。持って生まれた何かなのか、過ごしてきた環境なのか、どのような価値観なのか。それはただ「読んできたもの」だけではなく、生きてきた中で培われるものだから。

キラキラできる人はキラキラした方がいいと思うし、キラキラできないことも別に悪いことではなく、それって性質だと思うから。

そう思いながら読みつつも、途中からシリアスな内容に変わっていく。すると言葉にだんだん熱が帯びはじめる(考えてみると、最初から石焼きみたいに熱がこもっていたのかもしれない)。キラキラしながら熱が外側にあふれていく。言葉に乗った想いが届く。



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vol.15へと続く


▼「読むこと」は教養のエチュードvol.13▼


教養のエチュード賞に参加してくださったみなさまへ、僕からお願いが一つだけあります。どうぞよろしくお願いします。




「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。