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「書く」ということ

毎日、文章を書いている。

えんえんと、えんえんと。この場所だけじゃなく、仕事、たのまれごと、趣味、ぜんぶ。物理的に書いていない時でさえ、頭の中ではぐるぐるとことばがつむじ風の中を遊泳していて。不思議なきもちになる。

ずいぶんと前に、父から学生時代の話を聞いたことがある。父はテニス部の部長だった。毎日のように朝から練習があり、授業を終えると夜遅くまでそれは続いた。それくらい熱の入った部活だった。ある日、年に数えるほどしかない休みの日が訪れた。父は部員たちと「休みだけど、何する?」という話し合いをした。結局、「暇だからテニスしよう!」とラケットを持ってみんなでコートへ飛び出したらしい。

父は「それくらいテニスが楽しかった」という話をしたかったのかもしれない。でも、ぼくはそれを落語のような感覚で聴いて笑っていた。

それがどうだろう。今、まさに、ぼくはその頃の父と同じ状況にいた。暇というわけではないけれど、毎日休みなく文章を書いている。えんえんと、えんえんと。なんだか絵本のような展開だと思っておかしかった。

父は「バカ」がつくほど真面目な男だった。そういう意味で、小学校の校長先生という仕事は彼の天職だったに違いない。幼い頃からくだらないことが大好きだったぼくはよく冗談を口にした。すると、父はいつも訝し気な目でぼくを見ていた。「冗談」が冗談であるということがわからないのだ。

あれは高校生の頃。美容室で少し変わった髪型にしてもらったことがある。右を通常に整えて、左を丸坊主にした。スタイリングするとなかなかいい感じだった。意気揚々と家に帰ると父がいた。父はぼくの髪型を見ると愕然として、「何だそれは」と言った。咄嗟にぼくは「(カット代の)半分しかお金がなかったから、半分だけしか切ってもらえなかった」と答えた。すると父は、母のところへ行き「亮太がお金ないんだったら、どうして渡してあげないんだ」と怒った。

このエピソードは、「ぼくの父」という人間をよく物語っている。どこまでも真面目で、果てしなく誠実な人だった。当時は「つまらない大人だなぁ」と思っていたけれど、今ではその性質が父という人間の大きな財産だということがよくわかる。母はきっと父のそういうところに惹かれて結婚したのだろう。

年齢を重ねるごとに、ぼくは「父に似ている」と思うようになってきた。ある日、実家に帰った時、母にノートを見せたことがある。そこには読んだ本や日々の記録が書かれていた。母はそのノートを見るなり、気味悪そうな表情をして「お父さんそっくり」と言った。ぼくは、その気味悪そうな表情がおかしくて仕方なかった。示し合わせたわけでもないのに、行動(書き方まで)を酷似させてしまうDNAの不思議は、母にとって〝ほほえましい驚き〟以上に〝奇妙な現象〟として映ったのだろう。

冗談は通じないかもしれないけれど、ぼくは父みたいな人間が好きだ。

とにもかくにも、ぼくは毎日、文章を書いている。えんえんと、えんえんと。父が空白をテニスで埋めて、青春を彩ったように。

「芝居」と「演技」は違う。

これは、俳優の窪塚洋介さんが言っていたこと。「芝居」は「芝に居る」と書く。芝のように、草のように、そこに自然と居ること。「演技」は「演じる技」だからテクニックなんだ。

窪塚さんは、どちらかというと「演技」ということばが好きではないと言った。ただ、テクニックが重要であるということを否定もしない。

「自然とそこに居ること」と「演じる技を繰り出すこと」は両立できないよね。右回りと、左回りを同時に行うようなものだって。理論上、両立することはできないのだけれど、でも、それを両立させたい。

確かに、「技」を磨けば磨くほど、そこから「自然さ」は消えていく。その絶妙な塩梅をそこに置くことができたら、それは理想的だよね。「技」はどこまでも磨くことができるし、同時に「自然とそこに居ること」も成立させる。

ぼくは、文章の領域でそういう世界を実現したい。技術はあるのだけれど、「自然とそこに居ること」を大切にした文章。それは、昨日、今日書きはじめたぐらいでは出せない匂い。「すごい」とも感じさせず、「うん、そこに居るよね」と思ってもらえるような。今、たくさん書いていることがその世界とつながっていますように。

そんなことを思いながら、今日も書く。



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