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渇きと学び

勉強している人が好きだ。

新しいことを学ぶ。技術を訓練する。学生だけでなく、社会人になってからも積極的に新しい分野を学習する人がいる。そういう人の話はおもしろい。常に“自分”が変化しているから、話を聴くたびに新しい発見をもたらしてくれる。

「どうして勉強しているんですか?」

そういう人と出会った時、いつも質問している。日々、やるべきことがある。仕事に困っているわけではない。それなのに、どうして新しいことを勉強するのか。この問いを置いた時、明確な答えを持っている人は意外と少ない。返ってくることばは、当然、人それぞれ。

「仕事をしたくないんです」

先日、訊ねた人はそう答えた。仕事が嫌いというわけでも、できないというわけでもない。給料に不満があるわけでもない。ただ、一通りできてしまって、飽きてしまった。だから、今の自分に足りない要素を学んで、別の何かをしてみたい。瑞々しさを求めて、現状から脱却する。

「圧倒的に訓練が足りてないから」

別の人はそう答えた。他人は「いいね」と言うかもしれない。他人は他人。自分が目指す場所に到達するためには、知識も、経験も、訓練も、圧倒的に足りていない。その焦りから、粛々と学ぶだけ。他人の声に安心している暇はない。

「人として成長するために」

また別の人はそう答えた。新しいことを学ぶと、今までとは違った箇所が鍛えられる。新しい問いも生まれ、新しい解決策も思いつく。多面的に、“自分”を鍛えることで、人間として成長できる。あらゆる行為は、一つのこころと身体につながっている。

勉強すること。呼吸は、息を吐いてからの方が、深く吸えるのと同じように。フレッシュな潤いを味わうためには、渇きを得ることが大事なのかもしれない。小さな渇き、大きな渇き。日常に息づく“渇き”は、勉強のきっかけとなる。渇きの在りかを覚えておこう。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。