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フォンダン・ショコラ

ここに来て、noteを更新するのが辛くなってきた。

連続更新をはじめて150日。「哲学ドルチェ」と名付けて、“コーヒーを飲む間の甘い哲学”をコンセプトにリラックスして書いてきた。それは、一筆書きのような気軽さとゆるさで、遊びと鍛錬の間くらいの感覚で。忙しくて時間がないわけではなく、ネタがないわけでもない。辛さの理由は、“本腰を入れて書きたい欲”が湧き上がってきたこと。メレンゲのような文章ではなく、ナイフを入れると中から濃厚なチョコレートソースがあふれ出すフォンダン・ショコラみたいな文章が書きたい。

「概念の遊び」のような文章はいくらでも書くことができる。今までもたくさん書いてきた。そうではなく、風景を描きたい。風景とは、見えているものをできるだけそのままに。しゅわしゅわと世界に泡立ち、はじける人間たちの営みが。連続する行為の描写で、物語が展開する。そういうものにしっかりと向き合ってみたい。

一年前、365日毎日文章を投稿した。振り返ってみると、それはちっとも大したことではなく。文章を生業にしたり、書く行為を通して誰かの人生に影響を与えるためには、それくらいのことは努力にも含まれない。淡々と、継続して書くだけである。わたしがなぜ、また毎日の投稿を再開したのかというと、シンプルに“書いた方が巧くなるから”だ。書かないより、書いた方が良い。当然、仕事でも毎日書いている。でも、それだけだと、なんだか不安なのだ。その不安を解消するためにも、書いている。

今夜の文章は少し雰囲気が違う。告白のような、あるいは、独り言のような。メレンゲをたくさんつくるか、どっしりとしたフォンダン・ショコラに取り掛かるか。今回はスィートでなく、ちょっぴりビターな哲学。答えはまだ出ていない。


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