“死”と暮らす
今日、久しぶりにとある編集者と話した。
いつも人の話を聴く側だったけれど、今回は話す側にまわった。対話はいい。あらためてそう思う。滞っていた思考が流れ出す。わたしたちは、考えたことを話しているのではなく、話しながら考えているのだ。もやもやしたものにことばを与え、整理してゆく。相手から促されることもあれば、自分の中で発見してゆくこともある。やはり、対話はいい。
ふと、生きている意味などを考える。最近、話した人は「“死”を考える」と言った。そういえば、わたしも毎日、“死”を考えている。今日の編集者との話でも“死”について語り合った。それは決してネガティブな意味ではない。“死”がわたしの中で息づいているのだ。それはそれは、こよなくナチュラルに。
わたしたちは絶望も希望も、不安も安堵も、空腹も快楽も、同時に抱えながら生きている。「死にたい」と思った十五分後に、腹が減ってカップラーメンを食べている。実にいい加減な生き物だ。しぶとく生き続ける個体もいれば、あっけなく首を吊る個体もいる。そのことを知る度に、実感する度に、再発見する度に「もはや、どうでもいい」と思うのだ。“死”は常に目の前にいる。
「プーチンはね、北海道を獲るつもりですよ。先日、公式で発表したでしょう?“日本人は、我が兄弟である先住民のアイヌ民族を根絶やしにした。北海道はわたしたちの領土だ”って。北海道が獲られるとね、その後、習近平が台湾と沖縄を“我が領土だ”と声明を出すんです」
編集者は言った。
「プーチンさんが暗殺されると核ミサイルが発射されるって本当ですか?」
わたしが訊く。
「本当ですとも。地球の表面が焼き尽くされますよ。キエフには数百メートルの地下があります。モスクワとロンドンにもある。日本はね、六本木に数十メートルの地下がありますよね。たった数十メートルだと、日本は助かりません」
「え、じゃあ、もしかするとこうやって話しているうちにミサイルで世界が終わる可能性もあるってことですか?」
「そうですね。ほら、二〇五〇年に人類が火星に移動する計画があるでしょう?そのためにGAFAが毎年数十億の資金を注ぎ込んで研究開発している。あれはね、本当ですよ。その出来事が“あるもの”だと想定して進めている。でも、その間ずっと地下で暮らさなければならない。それは幸せなんでしょうかね?」
編集者の話は嘘か本当かわからない。冗談か本気かもわからない。嘘でも本当でもどっちでもいい。“死”は常にわたしと一緒にいるのだから。
地球がいつ消えてなくなろうが、突然の事故に巻き込まれようが、病でじわじわ削られていこうが、最後の最後まで建設的に生きたいものである。いっしょけんめいに生きる。ただ、それだけだ。
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