見出し画像

才能にぶん殴られる

仕事柄、才能にあふれた人と出会うことがよくあります。

もうそれは、熟れた南国の果実のように、弓なりになった枝の先で芳醇な香りを放ちながらたわわに実っていて。瑞々しくて、輪郭がくっきりとしていて、色っぽい。しとどにこぼれ落ちる豊かな才能にこころを掴まれるわけです。

日がな一日中、火照ってばかりいるわけではなく、冷や水を浴びせられるような体験もあるわけですが、いずれにせよ、多くの才能には出会っていた方が良いとぼくは思うのです。

特別な才能というものは、一種の麻薬のようなもので。自然と人の注意を惹き、ことばを失わせる力があります。多くの場合、それは人を幸せにさせる力なのですが、その反動として自分の小ささを思い知らされることにもなり得ます。才能にぶん殴られる体験です。

ぶん殴られると痛いです。でも、ぼくはどんどんぶん殴られた方がいいと思います。自分のことがよくわかるから。自分が足りないものが見えてくるし、自分のいいところも見えてきます。もっと言うと、自分の「本当の得意」が見えてくる。

それはとても不思議な感覚で。相手の才能にぶん殴られたことよって、ガチャポンのようにそれは偶然、引き出される。「このポイントでは太刀打ちできない」「このポイントでは対等に話せない」「じゃあ、もうこれしかないよね」という感じで。

それがわかれば、あとはひたすら磨いていく。あの人たちの才能の総量に少しでも近づけるように。そう、同じ分野じゃなくていい。むしろ違った方がいい。大事なのは、エネルギーの総量なんだ。「この力を持っていれば、この人と対等に話せるよね」って思えるものを自分で育てていく。

誰かの才能にぶん殴られることで、自分の立ち位置を知ったり、何を育てていけばいいのかわかったりする。相手を尊敬もできるし、自分だって成長できる。誰かの、その豊かな才能は、〈わたし〉という世界を拡張させてくれるんだ。

そうやって、人は人から学び、意図しないところで、人は人に何かを教えている。このエネルギーの循環で、ぼくたちの一人ひとりは少しずつ豊かになっていく。

何かを諦めることだって肯定的に考えることができるようになる。大真面目に「諦める」を経験したことのある人はね、強いよ。強いし、どこかビターな魅力があるんだよ。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。