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スィートな夜を、愛で満たす

さて、今日は少しだけ過去を振り返ってみようと思う。

人に自慢できる過去はないが、大切にしたい記憶はある。恥じらいをごまかすには酒が役に立つ。竜舌蘭からつくられる蒸留酒があれば、ワンショットで嫌なことを忘れることができる。ただ、下戸の私がそのとろんとした黄金色の液体を口にすれば、嫌なことだけでなく、あらゆる記憶が消し飛んでいまうだろう。

若者に一つ伝えておこう。

酒は身を滅ぼす毒にもなるが、上手に利用すればスィートな夜を愛で満たすことができる。peace・unity・love&having funを生む薬となる。

そう言えば、ヴァレンタインの残りが棚にあった。そうそう、このダークチョコレート。砕いたかけらを小鍋に入れる。ミルクを注ぎ弱火でくつくつ。とろみが出はじめればラム酒で味を調える。そうだな。キャプテン・モルガンにしよう。ヴァニラの香りが華やかだ。

カップに注げば、ほら、ショコラショーのできあがり。準備は整った。グラスが重なり合う音が響けば、ミッドナイト・イン・インドのはじまりだ。それではいいかい?

「チアーズ」

***


20歳の頃、バックパックを背負ってインドで一人旅をした。何もかもがノープラン。用意したのは往復の航空チケットだけ。空港へ降りるとそこは真夜中のデリー。今思えば最悪のレートだった換金所。ペラペラの日本紙幣数枚を、おもちゃのようなインドルピーの分厚い札束に替えて、外へ出た。

クラクションの音、音、音。そして見渡す限りインド人、インド人、インド人。香辛料の匂い。

「ここがインドだ」

リクシャーの運転手に「街まで乗せて行ってほしい」と頼むと断られた。それもそのはずで、私の周りにはタクシーの運転手が群がって「オレの車に乗れ」と騒いでいたからだ。

仕方なく、人の好さそうな顔をした運転手に乗せてもらうことにした。走らせること数十分、車内で彼と楽しい会話をしていると、とある建物の前で車を止めた。「どうしたの?」と尋ねると、「道がわからなくなった」と言う。続けて「この建物の中に入って道を聞こう」と言った。彼の表情は緊張を隠しきれていなかった。危険を感じる。

「降りない」と断り続けていると、建物の中から肉団子のような男が二人出てきた。そして、私が乗る側の扉に手をかけた。私は大声で叫んだ。

「早く車を出せ!」

何度も、何度も。肉団子は顔をしかめ、運転手にヒンディー語で語気を荒げ何やら声をかけた。そのまま彼らは数ターンの会話をした。そして、ゆっくりと車を走らせた。運転手に「あの男は何を言っていたんだ?」と尋ねると「道を教えてくれた」と平然とした顔で誰もがわかる嘘を吐いた。

「着いたぞ」

降ろされた場所は「街の中心部」だという。辺りを見回すと何もなかった。後日知るのだが、私は全く別の場所に放置されていたらしい。あの建物に入らなかった腹いせに違いない(当時、建物の中で旅行客から金を搾り取る詐欺が流行していた)。

真っ暗な道を一人、とぼとぼ歩いていると、前方がキラキラと光っていることに気付いた。立ち止まって、その光を見つめているとそれらはだんだん近づいて来る。それが犬だということに気付いた頃には遅かった。私は十匹以上の野犬に囲まれていた。

ギャン!ギャン!ギャン!ギャン!

生命の危機を感じた。牙を剥いた野犬たちは私に向かって一斉に吠えた。頭に浮かんだのは「狂犬病」の三文字。背負っていたカバンを振り回して追い払おうとしても、彼らは動じずに向かってくる。先頭で吠え続けていた犬が私に噛みつこうとした時、一台のリクシャーが目の前に現れ、棒を持ったインド人のオヤジが飛び出した。彼はその棒で野犬を追い払うと、私に近づいてこう言った。

「こんなところで何してるんだ!?」
「いや、この辺りでホテルを探そうと思って」
「歩いて?」
「そうです。この辺りにたくさんあるはずだから」
「おい、この辺りにホテルなんてないぜ」
「え?」

オヤジは続けた。

「お前みたいなバックパックを背負ったジャパニーズがこんな時間にガイドブックを持ちながら歩いていたら殺されるぜ」
「………」
「いいから乗れ」
「いや、歩いていきます」

インド人に対する不信感が高まっていた私には、オヤジの言葉を信じることができなかった。無視を続ける私の後をオヤジはリクシャーに乗ってしつこくついてくる。「構わないでくれ!」と言いかけた時、前方から四、五匹の野犬がやってきて吠えはじめた。オヤジはリクシャーを乗り捨て、再び狂った犬たちを追い払い、私を振り返って素敵過ぎるインドスマイルでウィンクした。

バリバリバリバリ

けたたましいエンジン音、ガソリンの匂い、インド人のスパイシーな香り。生暖かい風が頬に触れる。オヤジのリクシャーは微妙なバランス感覚で交差点をカーブする。オヤジは笑ってる。私は少し疲れている。

しばらくリクシャーを走らせると、大きな建物が見えはじめた。先ほどの場所とは異なった都会的な雰囲気。なるほど、ここが街の中心地に違いない。

「ホテルは予約してあるのかい?」
「いや、今から自分で探すつもり」
「なんてこったい!ジャパニーよく聞け。明日はシヴァラートゥリだ。ホテルなんて空いてないぜ!」
「え?…しヴぁらーとり?」
「フェスティバルさ!」

ガイドブックを開くと、確かに翌日はヒンドゥー教の神様シヴァの聖典のようだ。それでどこのホテルも満室なのだという。

「ヘイ、ジャパニー。もう夜中の2時だ。しょうがねぇ。俺がホテルを探してやるよ」

何ていいオヤジなんだ。私は心から感謝した。その前に痛い目に遭っていた分、余計に合わせる手に力が増した。このオヤジは嘘をつくことなくちゃんと私を街まで送ってくれた。あの獰猛な野犬たちも追い払ってくれた。屈託のない笑顔でリクシャーのハンドルをきるオヤジ。車内に入る春先のインドの風がそのスピードを全身に知らせる。

ドォォォォォン!

大きな音と共に衝撃が伝わった。リクシャーに何かがぶつかったのだ。それは、紛れもなく「人」だった。オヤジがインド人を撥ねた。確かに私はその一部始終を目にした。そして、驚いたことにリクシャーは止まることなく走り続けた。オヤジは笑顔で振り返り、私に「アーユーオーケー?」と聞いた。

「今、轢いたよね?ちょっと!早く、戻ろうよ!」

咄嗟に出てきた日本語に、オヤジは大笑いしながら「ヤァ(YES)ヤァ(YES)」と答えた。そして続けて「ノープロブレム」と言ってインドスマイルでウィンクした。どうかしている。日本とは命の重さが違うことを知る。

長くなるので割愛するが、結局、リクシャーのオヤジも私のことを騙していた。行く先々のホテルではどこも「満室」と言われ、追い返された(それも後日、オヤジと宿屋が口裏を合わせていたことを知る)。数件たらい回しにされた後、気付けばとある旅行会社のテーブルで高額ツアーを組まされようとしていた。タージマハルの写真の載ったカタログを開く男が「チャイを飲むか?」と聞いたが「要らない」と断った。そして、呼吸を整えてからこう言った。

「いいか、聞け。何があってもツアーは組まない」

すると旅行会社の男は「お前みたいな奴はインドから出て行け!」と怒鳴った。その言葉を背に、私はその場を後にした。

真っ暗闇の道をとぼとぼと一人歩く。遠くで野犬が吠えている。怖い。何かやわらかいものを踏んだ。二、三歩あるくと、靴の裏のやわらかいものが潰れた。くさい。これは、うんこだ。一体これは何のうんこだ?窮屈なエコノミーで十時間の旅、騙され、犬に怯えて、また騙され、挙句の果てにはうんこを踏んだ。急に泣きたくなった。私は何のためにインドに来たのだろう?到着したほんの数時間後に「インドから出ていけ」と罵声を浴びるなんて想像もしなかった。暗闇に浮かぶ白い月が、じんわりと霞んだ。

私は、この日のことを忘れない。


***


20歳の若者へ伝えたいこと。それは「インドへは行くな」ということではない。結果的に、その旅は私に「体験」という大きな財産をもたらした。到着した日は、お世辞にも「すばらしい」とは言えない。でも、この旅で、私はいろいろなことを学んだ。インドという国に魅了された。ガンジス川の朝日を浴びてチャイを呑み、ハンピで遺跡を巡り、ジャイプルで人のぬくもりに触れ、バスで渡ったネパールではアンナプルナの絶景を見た。コルカタで脅しに遭い、ゴアからデリーまでの長距離電車の中で異国の家族と友達になった。並べるときりがない。

気が付けば、インドに到着したあの夜のことは私の宝物になっていた。

20歳の若者よ。「若さ」は資源だ。行きたい場所へ足を運び、会いたい人に会いに行け。頭を使え。いっぱい笑え。そして、いっぱい泣け。若さという資源を有効に使え。

「若いから何もできない」のではない。「若いからこそできる」ことはたくさんある。会いたい人にラブレターを書け。メールじゃダメだ。自分の手で、とびきり想いを込めた言葉を綴れ。熱意さえあれば「若い」という理由だけで、会ってくれる人はたくさんいる。

今、あなたが獲得しなければならないのはアルバイトで稼いだお金ではない。かけがえのない「体験」だ。インドでうんこを踏むこと。憧れの人に話を聴くこと。たくさんの本を読み、浴びるように音楽を聴き、一日じゅう映画を観ること。「そのためにはお金がいる?」。もう一度言う。頭を使え。「若さ」という資源があれば、お金がなくともクリアできる方法はいくらでもある。

芸術とワインを学べ。それは世界共通言語となり、いつかあなたを助けてくれるだろう。言葉を知らなくても、芸術とワインはコミュニケーションに役立つ。

「若者に何かを伝える」なんてガラじゃない。私だって、まだまだ闘っている最中だ。こんな恥ずかしいこと、酒の力を借りなきゃ言えない。うんこを踏んだなんてシラフで書けない。因みにあれは、牛の糞だった。

にぎわえ、生命よ。感受性をたがやせ、若者よ。ネットで調べた情報が全てだと思うな。魅力的な人に出会った時に、あなた自身が「魅力的だ」と思ってもらえるような体験を積み重ねろ。

最後に、祝福の杯でお別れを。カカオは多幸感を味あわせてくれる。空いたカップに、温めなおした残りのショコラショーを注ぎ。

「チアーズ」

健闘を祈る。




「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。