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考えるヒント

哲学者のエマーソンは言いました。

「その人が一日中考えていることが、その人自身なのだ」


日々、いろんな人と出会い、いろんなものを見ます。
情報の海の中に飛び込んで遊泳し、その中で自分の立ち位置を考えたり、急速な時代の移ろいに懸命にしがみついたり、個性について考えたり、辛辣な批評をしてみたり、誰かの意見に賛同してみたり。
大忙しです。


めくるめく情報の波によっていつの間にか沖合まで流されている。

「ここは一体どこだ?」


情報迷子。
これもやっている、あれもやっている、こんな想いがある、あんなことは許せない。いろんなものを見たり、聞いたりしたけれど、結局一ヵ月前の自分とは何も変わっていない。
こういう恐怖ってあると思います。

特に同時並行していろんなことを考えたり、仕事をこなしたりできる器用な人に多い傾向だと考えます。好きなことだけに集中できてしまう人は、それだけで〝自分〟という羅針盤を持っているので周りに振り回されることはありません。

ベストなのは、〝自分〟という羅針盤を持ちながら、同時並行で情報収集したり思考したりできることじゃないでしょうか。
外側に起きていることをあまねく〝自分〟と結びつける。
「主体は常にこちら側にある」という考え方が必要です。

「自分とは何なのか?」


哲学的な命題です。
この指、この髪、肋骨の中の赤い鼓動、脳細胞の狭間で起こるシナプスの連動、あるいは心。
セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』では騎士道物語にとりつかれた主人公は「己の魂以外、己と思うなかれ」と言います。


年に数回、実家に帰ることがあります。
60歳の母と70歳の父と話した時、僕の中の〝当たり前〟がべりべりべりっと音を立てて剥がれていきます。
「情報の海を自由に泳いでいた」ということが実は錯覚で、本当は限られた一部(とても狭い領域)でぱしゃぱしゃ泳いでいたということに気付かされるのです。
クリエイティブの世界やSNSで起きていることの常識は、僕の両親にとっては別世界なのです。
彼らにとってネットフリックスよりもずっと、畑で採れたばかりのオクラやペナントレースの結果の方が距離が近いのです。


僕たちは「自由に選択をしている」と思い込んでいるだけで、その実、「AIに選ばされている」ということに気付きます。
YouTubeの関連動画、Amazonのオススメ商品、ネットの広告…
数回のクリックでAIが〝私〟の趣味嗜好を学び、自動でレコメンドしていきます。クリックしているのは〝私〟ですが、背中を押しているのはAIです。さらに彼らは〝私〟にクリックさせるために、その人の趣味嗜好に沿った情報を提示してきます。より極端で、より過激なものを選んで。
TwitterやInstagramの世界でも、僕たちはフォローしている人の情報しかタイムラインに現れません。いつの間にか「タイムラインとトレンドのみが世界の全てである」と錯覚を起こしてしまうのです。

「〝私〟たちは好きなものしか見ていない」

ここまでは全て前置きです。
「ていねいで、しなやかに日々を送りたい」
そう思いながらも、時に乱暴に、時に慌ただしく、時に散漫な状態でとりとめなく時間は過ぎていきます。
その中でライフスタイルをコントロールする方法を僕なりに発見しました。
実践していてある程度うまくいっています。
誰かの役に立つかもしれないので書いておきます。



1.考えていることが〝自分〟

「こうなりたい」「ああなりたい」「こんなことしたい」「あれもほしい」
いろんな願望がありますが、「理想」という札を貼って頭の中のよく見えるところに置いておきます(忘れてしまっても構わないように)。
次に一日の間で考えていたことを思い出してみてください。


例えば、

・上司が責任逃れをしていた(ジロジロ)
・尊敬する人に電話をしなくちゃいけない(ドキドキ)
・締切までに仕事を終わらせる(ハラハラ)
・ある人の悪口を聞いた(イライラ)
・メディアの不祥事に憤りを感じた(ムカムカ)
・すばらしいスピーチを聴いた(ワクワク)


大切なのは考えていたことと、その感情。
それが今の〝自分自身〟です。
過不足のない、フラットな〝自分〟。

意外と苛立っていますね。正義感を理由に気持ちが狭くなっているところと、勇気がないところが見えてきます。責任感と向上心が見えます。


次に、「理想」という札を貼った〝自分〟を持ってきて、過不足ない〝自分〟と見比べてみます。
するとその差に驚きます。

ゆとりをもって、ていねいで、しなやかに生きる〝自分〟

追い込まれていて、苛立ちのある、器の小さな〝自分〟


まずは「考えていることが今の〝自分〟」ということを受け入れることが大切です。



2.理想と現実のギャップを埋める

ここからのポイントは「感情」です。
考えていることにくっついてきた「感情」に焦点を当てます。
太字のところですね。

・上司が責任逃れをしていた(ジロジロ)
・尊敬する人に電話をしなくちゃいけない(ドキドキ)
・締切までに仕事を終わらせる(ハラハラ)
・ある人の悪口を聞いた(イライラ)
・メディアの不祥事に憤りを感じた(ムカムカ)
・すばらしいスピーチを聴いた(ワクワク)


今起きている感情が、理想的にはどのようなものであればよかったかを考えてみます。

(ジロジロ)×
(ドキドキ)→ワクワク
(ハラハラ)→ウキウキ
(イライラ)→メキメキ
(ムカムカ)→ワクワク
(ワクワク)○


「尊敬する人に電話をしなきゃいけない」(ドキドキ)という度胸のない自分を、ワクワクさせるにはどうすればいいか。
「何か得るものがあるかもしれない」「同じ土俵の上で話ができるんだ」「相手にとって良い知らせを伝えれば、自分を仲間だと思ってくれるかもしれない」…
いろいろなアイディアが浮かんできます。

ある人の悪口を聞いて(イライラ)苛立った時は、「人は陰でこういうことを言うんだ」「多分こういうところが気に入らなかったんだ」と感情に流されず、客観的にその場を観察することにシフトチェンジすればコミュニケーションの勉強になります(メキメキ)。

でも、無理はしてはいけません。
悪口を聞いていて、感情をプラスに変換させて受信しても、嫌な気持ちになってしまった場合はその場から立ち去りましょう。
実際、上司が責任逃れをしていた(ジロジロ)という訝る感情をプラスに変換できなかった場合は「考えない」ようにします。

大切なのは、「考えていることが〝自分〟」なのです。
まずは考えている部分だけを充実させることを優先させるのです。


そして、変換をスムーズにできるようになると、今まで変換ができなかったことでもできるようになってきます。さらには、実際に起きている時に現在進行形で感情と思考の変換ができるようになります。



3.「考えること」を受け入れる

それを繰り返していると、自分が考えていることを客観的に見ることができるようになります。
「一日の考えていることの総量が〝自分〟」なのですから、自然と良いことを考えはじめます。マイナスのことであっても、それをプラスに転換させる発想力が身に付きます。

多くの場合、人は無意識に考えています。
あまり「よし、考えるぞ!」と思って考えはじめる人はいません。
価値観はその人の今までの体験から築かれます。
だから無意識(価値観や考え方)を改良することは本当に難しいことなのです。

「自分はこんなことを日々考えているんだ」と思い、それを現実の〝自分〟だと受け入れることができれば、そこからどのように成長すればいいのかが見えてきます。



僕はこの方法でずいぶんと楽になりました。
昔はもっとプンプン怒っていたり、嫌なことがあっても人のせいにしていたのですが、今は「自分でどうにかプラスに変換できないか」を考えることができるようになりました(まだまだ修行中ですが)。
ピンチもチャンスに思えるし、失敗も成功の糧に思えます。
それだけで日々の生活は明るくなります。


情報迷子でありながら「好きなものしか見ていない」という矛盾した両側面を持ち合わせて、僕たちは日々を送っています。多くの価値観に触れたり、新しい情報を次々と飲み込みながら、自分の生き方について考えます。何よりも大切なものは〝自分〟という羅針盤。

「今日一日何を考えていたか」を思い返すことが、しなやかに生きるためのヒントに繋がればと思っています。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。