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「読むこと」は教養のエチュードvol.9

2020年を迎え、僕からプレゼント。全ての作品を紹介させていただきます。結果発表はその後。みなさんが送ってくれた僕宛の手紙にお返事を。「わたし」と「あなた」がつながる。それはコンテスト開催の応募要項に書いたことの証明。

このコンテストにおいて、僕は「最良の書き手」でありながら、「最良の読み手」であることに努めます。

それでは、『「読むこと」は教養のエチュード』のvol.9です。



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57.ストレイシープのつぶやき

ヤマシタマサトシさんの作品。「美意識」の言語化と分析。これは「前に進む全ての創作者」へのエールだ。同時に、「僕」個人へ宛てた手紙のようでもある。今まで僕が思考してきたもの、そして、言葉にしてきたものに対する一つの答えのようだ。

普遍的なテーマを背景としながらも、杭を打つような形でポイントごとに「僕へのメッセージ」が埋め込まれている。つまり、僕へ「より深く刺さるように」設計された作品だ。

「ああ、ヤマシタさんっていいな」と思った。書き手には大きくわけて二種類いる。「自分が書きたいものを書く人」と「相手に伝えたいことを書く人」だ。ヤマシタさんは後者。もちろん、ヤマシタさんの中にも興味のあるテーマはあるし、それを書く技術もある。だけど、僕たちが目にする時には必ず「相手に伝えたい形」、あるいは「相手に伝わる形」になっている。そこには常に心配りが行き届いている。

具体的な点を述べはじめると、それだけで一つの記事になってしまうので多くは書かない。とにもかくにも、読み応えのある作品だし、僕はうれしいのである。



58.建築のバックボーンに想いを馳せる旅~自由学園明日館~ 

ロンロ・ボナペティさんの作品。ロンロさんの綴る「建築」には物語がある。建築にまつわるあらゆる要素を次々に配置して、そこから一つの見解を導き出す。読み手もロンロさんの思考の流れを辿っているような心地になる。思考の追体験は、思考のベクトルや深さをも受け手に味わわせてくれる。「考えること」に恋をしている人には心地良い体験だ。僕がその中の一人であることは言うまでもない。

今回はフランク・ロイド・ライト設計の「自由学園明日館」について。緻密な描写と美しい写真は、読み手に瑞々しいイメージを与える。テーマである「コンテクスト」からもわかる通り、建築を語ることは、文化を語ることであり、風土を語ることであり、宗教を語ることであり、デザインを語ることであり、生き方を語ることでもある。様々な要素から構築されている事実に気付かされ、一方で、あらゆる事象は建築に繋がっているのだということを知る。

この考え方を身につけることができれば、人生は豊かになるであろう。



59.「紫の龍」

猫野サラさんの作品。この小説を読んでいると、普段自分が「色」を名前でわけていることに気付く。言葉は良くも悪くも対象を限定させる。つまり「赤」は紛れもなく「赤」であり、言葉の上でグラデーションは起きない。それを工夫したとしても「淡い赤」や「鮮やかな赤」など名詞を形容する言葉によってバリエーションをつける程度に過ぎない。

色は無限にある。絵具の「赤」が全ての「赤」でないことを僕たちは知っている。だが、絵具を目の前に出された瞬間、僕たちの「赤」は、目の前の「赤」に限定されてしまうのだ。

異なる色同士を混ぜることで、色は複雑性を増してゆく。それは刹那的な「色」、モーメントを切り取った奇跡的な色彩だとも言える。この物語は、その「色」を人と人とのコミュニケーションと重ね合わせ、互いの色彩を混ぜ合わせることで唯一の「色」をつくり出せることを教えてくれる。それは限りなくロマンティックな営みであると言えよう。



60.手紙をくれる子どもが欲しい。気にかけあえる存在が少し遠くにいてくれたらいい。

雁屋優さんの作品。パートナーも、子どもも要らないけれど、文通によって子どもの成長を感じたい。実は、口に出さないだけで雁屋さんと同じような考えを持っている人は意外と多いのではないかと思っている。

人にはそれぞれの幸せの形がある。理想像がある。人を傷つけないことであれば、僕はそれらの価値観に対してとても好感が持てる。それは必ず、どこかの誰かを救っている。ステレオタイプの幸福像には、すくい切れない想いや人生がある。雁屋さんの願いも、それを形にすることで、どこかの誰かを救う。もちろん子どももそうだけど、それ以外の思わぬ誰かに希望を与えることに繋がっているような気がする。この作品は、誰の心にもある「愛すべきマイノリティな思考」の背中を押してくれる。

何より「文通によって相手の文章が上達していくことに喜びを感じたい」という願いは、なんとロマンティックなことか。



61.サリー 

すぅーらさんの作品。物語は04年のManchester。軽快でユーモラスな会話はアメリカ文学の短編小説のよう。会話のタッチでノスタルジックな気分にさせてくれる。

ほとんどが会話で構成されていて、そのやりとりだけで、相手が今どのような状況にいるのかということがわかる。そしてカットアウト的なこの終わり方も、読み手の想像力へ余韻を残す。



62.「無理をしない」の「無理」ってどこから?ていうか何? 

くぅさんの作品。「書くこと」は整理すること。それは思考の整理であると同時に心の整理でもある。自分自身について書くことによって、自分の性質やコンディションが見えてくる。自分を知ることは、生きていく上でとても大切なことだ。

この作品はドキュメンタリーとして、そのことを教えてくれる。自分の「限界」を知ることは、乗り越える上でも、回避する上でも、非常に重要なポイントとなる。



63.絶望的で最高

キラピンさんの作品。言葉によって紡がれるイメージが楽しい。彼女の文章は映画のようだ。それは短いセンテンスが並んでいるだけでも。もっと言うと、単語が並んでいるだけでもそれを感じることができる。

一枚の写真ごとに多くの情報量が詰まっている。それは「物語」とも言える。つまり、写真の中にストーリーを感じ、その前後で言葉が楽しく踊る。「抽象」を小瓶に詰めて、無邪気に遊ぶ。それは技巧の上に成立している。

「ずっと読んでいたい」そう思うだけでなく、「もっと読みたい」と思わせてくれる稀有な書き手だ。彼女の文章を読んで嫉妬する書き手は多いのではないだろうか。何せ、キラピンさんは読み手に、いとも容易く、軽やかに文章を綴っている印象を与えるのだから。読後感には清々しさとミルキーさだけでなく、わずかばかりの緊張感が残る。



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vol.10へと続く


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