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泥んこ遊びをしよう

上手に話せた方がいい。

でも、上手に話せることがベストではなくって。端正な語りも魅力的だけれど、人柄のにじみ出た語りもまた魅力的。つっかえたっていいし、言いよどんだっていい。次から次へとことばが出てきたり、テンポよく話題を振ったりするだけじゃなく。思考の湖に深く潜るような、長い沈黙があってもいい。

上手に話すことが目的ではなくって。対話を通して互いの中に起こる変化を愛おしく感じることができればいい。「対話」とは、〈わたし〉と〈あなた〉の関係性を築く行為だから。上手いだの、下手っぴだの、そういうことはちっとも重要じゃない。自信がないなら、相手が思いやればいい。相手を信頼して、身を預けることもまた、れっきとした対話だから。

上手に話そうとすると、「上手に話そう」として終わってしまう。それだと深く潜れない。寄り道できないし、枠の内側で収まったままになってしまう。「上手に話そう」を捨ててみる。感じたことをことばにして、思いついたことを質問してみる。どこまでもピュアでいい。それを二人で眺めながら、力を合わせて展開させていけばいい。対話とは、共同作業。

上手に話せなくても、誰も怒らない。上手に話せなくても、誰もがっかりしない。上手に話せなくても、嫌いにならない。

失敗してもいい。失敗した方がいい。迷った方がいい。むしろ、一緒に迷おう。道なき道を切り開こう。対話で旅をしよう。

泥んこ遊びのように。

冷たい土の感触、ひんやりと肌を包む心地良さ、乾いた後のパリパリした感じ、泥の匂い、土の匂い、木の匂い、虫の匂い、風の匂い、鳥たちの声、風に揺れる木々、ゆっくりと足が沈んでいく感覚、手でこねる泥んこ……

何も考えず、ただただそこにあるものを感じる。そうやって対話の波の中に漂ってみると、心地良いもんだ。知らないどこかへ流れて行く。一人じゃない。一緒に遊ぶ仲間がいる。そこでの時間は〈わたし〉と〈あなた〉の物語。愛おしい、ナラティブ。

構えなくていい。
自然体でいられる場所。

ぼくにとって対話とは、そういうイメージ。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。