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きれいは汚い、汚いはきれい

違和感に惹かれる。

あの、空気になじんでいない感じ。溶けない、混ざらない、接続しない。だから、それは独立して浮き上がって見える。できるのであれば、わたしもそのような存在でありたい。

それは確かに歪であり、奇妙である。場合によっては、嫌悪感を抱くこともあるだろう。ただ、どうしようもなく惹かれる。なぜ、独立して、確立しているのか。何ゆえに、周囲とは一線を画しているのか。不可思議な佇まいは、やわらかな感性に爪痕を刻印する。

振り返ってみればいずれもそうだった。わたしが惹かれるものは、歪であり、奇妙であった。理解の範疇を超えている。圧倒的な技能も、あまりに美し過ぎる現象も、格の違いも、不気味な穏やかさも、すべてが違和感である。シェイクスピアは戯曲『マクベス』の中で、魔女に「きれいは汚い、汚いはきれい」と語らせた。

洗練された表現だけでなく、超越した調和もまた、違和感になり得るのだ。つまりは、枠の外側にいること。周囲に溶けない、混ざらない、接続しない。独立して、確立した、境界の向こう側。

違和感と出会いたい。美しくとも、醜くとも。最果てまで理解できなくとも「理解したい」と思わせてもらえるような違和感に。

ちぐはぐな居心地の悪さの中、がむしゃらにもがきながら、恍惚の表情を浮かべるのである。それが人間の業なのだろう。


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