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土に還る

別々で生まれてきたぼくたちは、ある日出会い、一緒に生活をはじめた。

労わり合い、励まし合い、支え合い、分かち合い、愛し合った。

同じ時間を共に過ごすことで、目に見えない「何か」が蓄積されていく。それは灰色の空からひらひらと舞い落ちるひとひらの雪のように、土の上で静かに溶け、また土の上に、土の上に、土の上に…。しだいに雪は土を覆っていき、ひとひらのこわれやすい結晶は、目に見える世界を白く塗り替えた。

生活は続く。

別々の土から顔を出した。あらゆる種類のたまたまと偶然が重なって、ぼくたちは出会った。何かに惹かれた。目の下のえくぼ、少し湿った声、背骨の並び方。その一つひとつがまばゆい光を灯していた。

分け合い、傷つけ合い、慰め合い、学び合い、愛し合った。

ぼくたちはいつか鼓動を止める。草木のように静かだけど、光合成はしない。朽ちていくのを待つばかり。風が吹くと削れていく。ぼくたちはいつか土になる。土になったら、混ざり合おう。同じ土になろう。誰が見ても、寸分たがわぬ土になろう。呼吸はしないけれど、ずっと抱き合って、笑い合って、たくさんの草木を育てよう。新しいいのちがぼくたちから生まれれる。

それはどこかで顔を出し、たまたまと偶然を重ねて、出会うことになる。その物語を見つめよう。生活がはじまるかがやきを、傷つけ合うゆらぎを、支え合う美しさを。じっと静かに見つめていよう。

土に還る。

そして、生活は続く。


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詩を書いている。

毎日、少しずつ。誰に頼まれたわけでもなく。自分が「書きたい」から書いている。そこには理由も目的もない。ただただ詩を書いている。

理由なんてない方がいいこともある。自然に形になっていくことには期待もなければ、裏切りもない。上手もななければ、下手もない。血をからだに巡らすことや、呼吸することと同じ。誰に頼まれたわけでもなく、自分で決めたわけでもない。

生活の中にある「詩」はそれでいい。その時だけは自由でいられる気がする。自由がほしい。

先日、自分で企画したコンテストが終わった。

不思議な気持ちだった。酒を飲んでいるからこんなことを書くのだけど。一番に訪れたのは「ほっとした」という感覚。その次に訪れたのは「話したい」という感覚。こういうことって今までなかったなぁ。夢のような話だけれど、ぼくはみんなと話してみたい。文章を読んだことのある全ての人と。それはMuse杯に参加してくれた人だけじゃなくって。

土から顔を出して、いのちをいっぱいかがやかせて、いつか朽ちて、また土に還る。その一連の循環の中で、出会う「ことば」と息遣い。全員と話すことができたらいいな。何だろうね、夢とか目的とか、そういうことではなく。純粋な「願い」みたいなもの。夜空に流れる星とおまじない。

そういうことをちゃんと「ことば」に残しておくと、自然とそっちの方へ動き出すと思うから。いつか、一緒にお茶ができるといいね。土に還る前に。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。