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「無」とゾーン【CafeBarDonna vol.22】

〈空気の研究vol.6〉
【CafeBarDonna Daytime DJ】

これまで5回、「DJ Night」と銘打って真夜中に音楽と対話の空間をつくってきました。「空気の研究」は、仮説と検証を繰り返し、反省と改善で少しずつアップデートしながら「場」づくり(空間づくり)に臨んでいます。

夜のムードがおおよそ感覚を掴めてきたので、「次はデイタイムに開催しよう」という話になりました。昼の時間帯ならば、集まるメンバー、流す音楽、繰り広げられる対話も異なるはずです。何より、海外に住む方々が参加しやすい(日本の昼は、「アメリカの夜」:フランソワ・トリュフォー)。風通しの良いカフェのように明るく陽気に。

※以下、文体が変わります。

身体と思考

「書くこと」はとてもフィジカルな行為だ。一見、机の上、頭の中で完結しているように見えるけれど、実は身体と密接な関係にある。ふみぐら社さんが僕宛に書いてくれたnoteにそのことが書かれていて、僕は驚いたし、うれしかったし、何より深く納得をした(実感として〝身体的に〟腑に落ちた)。そのことは後日(8月28日)オンラインCafeBarDonnaでふみぐら社さんと語り合う。

アメリカのソルトレイクシティに住むたなかともこさんのnoteには自然豊かな国立公園の風景写真がしばしば投稿されている。ともこさんはそこで過ごす時間を「地球を味わう」と表現した。彼女の感性や扱う言葉に惹かれる理由の一つとして、そこで過ごす体験や時間が大きく影響しているい違いなし。ディープなアメリカ、その広大な大地を訪れると「足の裏の感覚が戻る」のだと言った。地に足のついた感覚が宿ると、パーソナルスペースの境目が曖昧になるのだという。恐怖心や警戒心が解かれるということだろうか。より開放的で、ビビッドな感覚になるということだろうか。

「それ、わかります」と言ったのはマリナ油森さんだった。彼女はホームステイ先のモンゴルで、似た感覚を味わったのだと言った。境目がなくなる感覚。きっと、それはアメリカでなくとも、モンゴルでなくとも、例えば日本の熊野古道や屋久島であっても似た感覚は獲得できるのかもしれない。実際に、僕にも身体的な記憶として残っている。

それらの感覚は、必ず「創作」にも関係する。

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「繭が風を手に入れ、シルクとなった」 対話のこと、文章のこと、考えるということ。

「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。