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消えた手紙と静かな夜

先日、『これはレターである』という文章を書いた。

ありがたいことに、わたしの元にたくさんの手紙が届いた。「あなたの文章を読んでいると、話しているような感覚になる」と表現してくださった方がいた。沈黙の想いを受け取ってくださっていて、とてもうれしかった。「ガラス瓶に入れた手紙のようにことばを伝えたい」と、わたしの手紙にお返事をくださる方もいた。夜の帳を越え、ボトルメールは確かにわたしの元へ届いている。そのことばを大切に胸にしまった。

今日、新たに手紙が届いた。とある事情によって、SNSから離れるという。使用していたアカウントは既に消したのだが、あなたに挨拶をするために新しいアカウントを作り直した。黙って消えようと思ったけれど、嶋津さんには、お世話になったお礼と突然いなくなるお詫びを伝えたかった。手紙には、そのような旨が書かれていた。

わたしは、何度もその手紙を読み直した。

別れはいつも突然やってくる。そうせざるを得ない理由があるのだろう。詳しくは訊かない。わたしたちは、それぞれの環境に身を置き、それぞれの生活を営んでいる。手紙をくださったことに対して、それから、今まで共に過ごしたささやかな、そして、豊かな時間に感謝の気持ちを述べた。

いつの日か、何かの形で再会できるといい。この別れが、その日までの保留期間であり、また会える日までの楽しみを熟成させる工程だと信じて。

“あたりまえ”は、突然、“あたりまえ”でなくなる。

だからこそ、「今」という時間は尊くかがやく。それを知っているからこそ、想いを尽くして、対話を重ねてゆきたい。“わたし”と“あなた”の物語を、ゆっくりと、丁寧に。

手紙の宛先をクリックすると、アカウントは既に消去されていた。「わたしに手紙を届ける」という役割を果たし、いなくなった。休むでもなく、眠るでもなく、鼓動さえなく、無となった。

春を控えた夜は、つとめて静かだ。


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