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黄昏のポエジィ

毎日、誰かの記事に100円サポートしています。

はじめたことに特別な意味はありません。続けているうちに「意味」が出てこればなぁとぼんやり思っていました。たまに僕はこういう「意味のないこと」をやります。そういう遊びが好きなんですね。

「続ける」ということはやっぱり偉大で、次第に「意味」が出てくるんですね。一つだったら何でもないものでも、いくつか並べることによって今までそこになかった価値が浮き上がってくる。何の変哲もない「100円サポートする」という物語があるだけで、並んだnoteの関係性に意味が出てくる。

その意味をすくいとって、蒸留し、エッセンスを抽出する。

たった100円だけれど、贈った人は喜んでくれる。喜んでもらえると僕もうれしい。月々3000円の幸せとそこに生まれる物語。僕は不思議な実験をしているような気がします。

黄昏時の空は、闇に向かい五色の光が溶けていきます。一つひとつのnoteの色彩。それを紡いで、編んで、結んでいく。その輪郭に、その行間に、その佇まいに現れるポエジィ。

僕はこの営みを「黄昏のポエジィ」と名付けました。


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心に残る文章は、ありきたりな一日にスプーン一杯分の特別な味わいを与えてくれます。時には、人生を変えてくれる一文と出会うことも。

そんなnoteたちを少しだけ紹介。


世の中を騒がしているウィルスの影響でいろんなところで、いろんな人が、いろんな決断を迫られた。このnoteを書いたふみぐら社さんも一つの大きな決断を下しました。「決断」は氷山の一角に過ぎなく、水面下には膨大な苦悩と思考が滾っている。このnoteは未来の糧となる。


猫野サラさんが「#君のことばに救われた」というコンテストで特別賞を受賞した。実はその作品は僕が主催する「教養のエチュード賞」に応募してくれた作品だ。僕のコンテストが創作のきっかけになり、そして評価に繋がっているということがうれしくて仕方ない。あの作品、僕も大好きだった。サラさんおめでとうございます。


noteを読んでいると、たまに呼吸することを忘れる文章と出会うことがあります。ヤギワタルさんのこのnoteを読んでいろんなことを考えました。考えているうちにも時間は進んでいて。人生は複雑にできていて、驚くほどシンプルにできている。幸福の中にも哀しみや心配事や悩みはあり、不幸の中にも笑顔や喜びやドキドキがある。だけど死んだらそこで終わる。平等なのは時間だけだ。自分でもそんなことを考えました。


最高だったなぁ。しりひとみさんが旦那さんにプロポーズするのだけど、もううれしくてうれしくて。読んでいるこっちが。喜びも、哀しみも、悩んでいることも。目の前にあるものはアイデア次第で全てエンターテインメントにできるんだということを教えてもらったような気がします。旦那さんにも、ユーモアにも、読み手にも。全てに愛が詰まっているnoteでした。おめでとうございます。


プロにしかできない話を聴くことが僕は大好きなのですが、ナースあさみさんのこのnoteはまさしくそれで。本文中に「限られたの資源の中で、出来る限りのパフォーマンスを発揮するのがプロの仕事」という一文が登場するのですが、本当にそうだよなって。その力があれば責任を背負うことができるから。現場で闘っている医療関係者には頭が上がりません。


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この「黄昏のポエジィ」はいつまで続けるかわかりません。今後、それをどうするのかなんて何も考えていません。続けるうちに新しい「意味」が現れてくると思います。

noteという場所は僕の実験場所です。この場所で文章を書いていると、時々誰かがサポートをくれます。文章を読んでいろいろと感じてくれた人や僕の実験をおもしろがってくれる粋な人が。それが続いているうちは、おもしろくなりそうなことを続けていけたらなって思います。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。