見出し画像

虹の条件

雨が降ったあと、空に架かる橋。

「この雨はいつ止むかわからない。ただ、この星が生まれてこのかた止まない雨はなく。きっと、これからもそうで。いつの日か、雲の隙間から光が差す。空には虹が架かる。虹というのは、雨が降り止んだあとにしか現れない。そう、雨がなければ、虹は出ない。そのきらめきに到達するためには、雨の時間を過ごすことは必要なんだよ」

虹の条件。

「ただ、すべての雨が虹を生み出すとは限らない。虹を呼び起こす雨もあれば、何も起こらないただの雨もある。何だろうね、虹って。神様の気分なのかもしれないね。そこから人間はいろんなことを考えはじめた。どういう時に虹が現れるのか、ということについて。雨の強弱、降った時間、雲の量、湿度の高さ、差し込む光の強さ……そういうことを調べていくと、虹が現れる条件がだんだんわかってきた」

人間の証明。

「そこで、気付いてしまった。条件さえ満たせば、虹は現れる、という事実。虹を呼び起こしていたのは、神様でも、雨でもない。条件が揃う状況だった。つまり、雨を降らさずとも、似た状況さえつくり出せば、いとも簡単に虹は現れるんだ。そして、人間は雨をショートカットして、虹を手に入れるようになる。わざわざ雨が降るのを待つことも、止むのを待つことも必要がない。条件さえ整えれば、好きな時に、好きなだけ、虹をつくることができる」

奇跡の軌跡。

「奇跡って何だろうね。それを信じさせてくれる物語だけにしか、神の存在を感受できない。人間は結局、ありふれたものは有難がらないんだよ。数値化できて、再現性のあるものに、神の気配を感じ取ることはできないんだ。理解できないこと、信じられないことにしか、神は宿らない。理解できた瞬間、再現できた瞬間に、神は消滅する。傲慢だと思わないかい?奇跡だけが唯一、そこに神の面影を見出すことができる。奇跡って何だろうね」

理解することの貧しさ。

「人間はおもしろいね。理解できないことを、神様という存在を認めることによって、信じようとする。思考を放棄するのではなく、サスペンドしているんだ。それは、危険なことではない。サスペンドしている間は、背景にゆるやかな思考が流れているからね。おそろしいのは、理解してしまうことだよ。人間は理解してしまうと、そこからもう考えなくなる。完全に思考を停止してしまうんだ。君もやってみるといい。理解したことに対して考え続けることは苦しい。虚しい。ときめかない。そこに落とし穴がある。思考しないということは、感性が死んでいるということなんだよ。それは、きわめて貧しい感覚だよね」

虹という体験。

「あ……話をしているうちに、雨音が聴こえなくなった。ごらんよ。雲間から光が差し込んできた。もしかすると、虹が現れるかもしれない。

わたしが愚かだと思うのは、新しいものにしか関心を示すことができないことなんだよ。愚か、ということばは少し乱暴だね。貧しい、とも言い換えることができる。それは経済的な貧しさではなく、感受する力のこと。古いものにも魅力は感じることができる。もっと言うと、当たり前のものの中にもきらめきは宿っている。それを自分の内側と呼応させる力を持った人のことを、ゆたかであるとわたしは感じるんだ。常識を疑え、ということばではない。きらめきと呼応する、ということなんだよ。

ほら……出たね。弓なりに大きく架かった。虹はやっぱりいいもんだ。わかるかい?頭の中で理解しただけのものとは違うだろう。雨が降り注ぐ中、我慢強く待ち続けたあとの虹は。こんなにも静かで、こんなにも穏やかで、こんなにも清々しい気分。この感覚を忘れてはいけない。頭で理解するんじゃない。この感覚を覚えておくんだ。それは、これから先、あらゆるきらめきと呼応することに役立つから」



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。