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空と海の「あお」

風が吹いて、波が揺れる。

「あお」は世界をぐるりと包む。ぼくは海よりも山の方が好きなのだけど、どちらにも共通することはそこに「詩」があるということで。詩人は、それをつらまえ、抜き出し、言葉に落とし込んでいく。

〈詩の高さは一瞬の閃光としてくる〉

谷川俊太郎さんの父徹三さんは『詩』という文章の中でそう書いた。刹那のきらめきに永遠を感じ、言葉がその閃光をとらえる。

風が吹くだけで無限に広がるさざ波や、反射によるきらめきや、馥郁とした潮の香りや、じりじりとした太陽の残響に肌は焦がれる。海の「青」と空の「青」の中間では、それらがはじけ合う豊穣のにぎわいが聴こえてくる。口の中でぱちりと音を立てるコットンキャンディのように、軽やかで、甘やかな火花をからだで浴びる感覚。

「青」と言っても、そこには様々な「あお」があり、濃淡があり、グラデーションとなり、呼応の関係性を見せる。渦が生まれると、それは万華鏡のようにきらめきながら移ろっていく。いのちのにぎわいは、波の音と重なる。

詩人は、それぞれの一瞬をつらまえるのだ。カモメが波と同化した銀色の魚を捕まえるように。曲芸のためではなく、「生きる」ために、それをする。

「詩」は、至るところに隠れていることに気付かされる。何もないのではなく、全てあるのだ。その一瞬の閃光をとらまえるか、見逃すかの差がそこにあるだけのことだ。



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