見出し画像

フードコート・プロ

家の近くに、ささやかなモールがある。

その中にフードコートがあり、たまにランチで利用する。そこにプロがいる。フードコート・シェフだ。彼と出会ったのは、利用しはじめて数回目。昼下がり、白い調理服を身に着けたパートの女性たちがキッチンに賑わう中、一人黒いエプロンの男がいた。笑顔をふりまくことなく、仏頂面で調理する彼は、そういう意味でも目立っていた。年の頃は、三十~四十代だろうか。想定する年齢の幅が広いのは、ぷっくりとした頬からは若さを感じるが、表情が薄く目が据わっているために妙な落ち着きがあるからだ。

「カツ丼定食」

レジの女性に注文すると、キッチンの奥から声が聴こえてきた。

「時間かかるよ」

男だった。

「15分。もしかしたら25分」

目を据えたまま、彼はわたしにそう言った。

「……待ちます」

断ってもよかった。ぶっきらぼうな響きは、令和の時世にはレアリティ。不思議な気持ちのまま、そう答えていた。わたしの声を聴くと、返事することもなく男は作業に取り掛かった。

支払いを済ませ、呼び出しベルを受け取ったわたしは、席について様々なことを考えた。油を入れ替えたところなのかもしれない。カツを揚げるのが面倒だったのかもしれない。「25分」と言えば、わたしがあきらめて帰ってゆくことを期待したのかもしれない。シンプルに、仕事をしたくなかったのかもしれない。彼は世界に絶望しているのかもしれない。そんなことを考えていると、ぶるるんと呼び出しベルがふるえた。

それはそれは見事な景観だった。きつね色の衣がからりと米の上に重なり、そびえる二枚の山脈に、半熟の卵が雪化粧となり、その立体に艶やかさを演出する。青々とした九条ネギがぱらりぱらりと、全体のトーンをきゅっと引き締める。既に旨いのである。

卵の絡まったカツを一口。ざくっ、じゅん。そう、その一口で、もうわかった。彼は只者ではない。軽やかにからりと揚げた衣、適切な温度と時間によって、中に肉汁を包む。とじた卵と出汁にカツを和える際にも、衣の質感を損なわず、柔らかな卵のテクスチャーと調和させる手際。立体的かつ、バランスの良い盛り付け。色味も良い。彼はプロだ。一口食べた後、思わずキッチンを振り返った。男は「この世におもしろいことなど一つもない」といった表情をして、黙々と作業していた。

フードコートにプロがいる。

その日から、わたしは彼に会うためにフードコートに行った。彼がいなければ、食事をすることはなかった。わたしは“彼の料理”が食べたいのだ。

彼は何者なのだろうか。社員なのか、バイトなのか、何なのかわからない。何が目的であのフードコートで働いているのだろう。彼の生きがいは何なのだろう。彼はいつ笑うのだろう。どうして、あんなに調理が上手いのだろう。彼は、一体何者なのだ。

当然、答えは知らない。彼もまた、わたしが自分の料理を楽しみにしていることを知らない。こんな文章を書いていることなど知る由もない。わたしが彼と話すのは、まれに彼がレジ打ちを兼任する一瞬だけである。

わたしは彼の料理を楽しみにしている。それだけでいい。伝える必要もない。「ここは君のいる場所じゃない。こんなところで才能を無駄遣いしていてはいけない」。そう思いながら、料理を受け取る。彼の独立した人生に、わたしが関与すべきではない。フードコートにプロがいる奇跡を、贅沢に味わうだけでいいのだ。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。