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A Love Supreme

「これよ、これが見たかったのよ」

最初の曲が終わり、あふれたものをこぼすようにそう言ったいづみさんのそのことばを聴いた時、三次元的に肌が広がっていく感覚が押し寄せた。じんじんと痺れた肌は泡立ち、その薄皮の下、毛細血管にヘモグロビンが時速1225kmで駆け巡る。音の波と一体化した証、ぼくのからだを別次元へ飛ばす魔法の音楽、一年間をこのモーメントに凝縮した不思議。

Billboardで開かれた花*花さんの20th Anniversary Live。コバルトブルーの空間の中、照明に包まれ、観客の視線を注がれた二人は、赤く輝いていた。きらきらと、きらきらと、炎のように揺らぎながら。「ライブができる日を待っていました」とまきこさんはそう言って、その場にいる全員が泣きそうになったのは、みんなの気持ちの分も代わりに言ってくれたような気がしたからで。例のウィルスのせいで、一年間お客さんの前でライブができなかったこと、誰もが先行きの見えない不安を抱えたまま暮らしていたこと。それでもささやかな憂いの色さえ帯びなかったのは、二人の掛け合いで空間を笑いで満たしていったから。物語を紡ぐように、空間を構築するように、二人とバンドは音楽を織りなしていく。

音の鳴る箱の中、寄せては返すいのちのさざ波。大波、小波は音の波。ぼくのその心地良い波に洗われ、身を任せ、包まれながら、隣に座る妻のことを考えていた。瞳いっぱいに涙を浮かべて、ステージを見つめる彼女は、紛れもなくぼくの幸せには必要な存在で。あなたの幸せの中に、ぼくがいられたら、それがこの上ない幸せで。大好きなごはんをめいっぱい食べさせて、二人でたくさん笑って、一緒に寝れたら最高だなって。

花*花さんはおもしろくて、かっこよくて、こよなくキュートで。二人の織りなす音の波は、ぼくに「幸せとは何なのか」を教えてくれた。かっこよく言うと、それは「至上の愛」というもので。今日ですべてが終わってもいい。それでも、明日が続けばいい。

人間は弱い生き物。文学や音楽は、弱さを愛おしいものだということを教えてくれる。長く続けることはやっぱり偉大で。昨日、今日のことが「20年」という時間を生み出すことは絶対にできないから。その間にも、悲喜こもごも、いろんなことが起こるでしょう。それが「これが見たかった」の一言に、あるいは奏でられた音色一つに、収斂される奇跡みたいな瞬間があるということを、ぼくは知ることができたのだから。

救われた。この70分に救われた。歌に、音に、声に、ことばに、20年分の結晶に。それでもきっと二人は、果てしなく謹み深く「みなさんのおかげで」って言うのだろうけれど。ぼくはこころの底から救われた。そして、それはきっとぼくだけではなく。音楽はすごい。

「今日ですべてが終わってもいい」なんていう日は、人生の中でなかなか訪れることはない。今日が最後の気持ちで、生きることができたらいいね。



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