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わすれておしまい
年を重ねるごとに、シンプルになっていく。
それまでは「あれもしたい」「これもしたい」という想いがたくさんあった。今は、ただ、日々を笑顔で過ごすことができればいい。コロナウィルスがやってきて、それがいかに難しいことかを思い知った。
危機に直面すると、目の前の「しあわせ」に気付かされる。壁を乗り越える度に、それらのかけがえのない「しあわせ」を忘れてゆき、「乗り越えた」という自信だけがごうまんにビカビカ光る。
人は、忘却できないと、生きていけない。でも、うっかり大事なことまで忘れてしまう。
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忘れないようにするためには、いろんなものを削いでいく必要がある。
手放したり、削ったり、磨いたり。物事や思考がだんだんシンプルになっていく。そうすると、忘れない。大事なことと共に生きていく。哲学というのは、そういうものかもしれない。
ぼくのしあわせには、必ず妻の笑顔がある。たとえ、あらゆるものを手に入れたとしても、そこに妻の笑顔がなければ、しあわせであることにはならないんじゃないかな。「ぼくのしあわせ」という円の中に、「妻のしあわせ」が含まれているから。
彼女が悲しんでいると、どうにもならないほど胸が苦しくなる。はりきっていると、うれしくなる。感情が呼応する。彼女はぼくのアイデンティティ。
いろんなものを削いでいっても、それだけは残り続ける。
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何気ないやりとりで、笑ったり、真剣になったり。
「つらい現実」と向き合う時間も大事だけれど、「嫌なこと」を忘れる時間も大事。口にはしないけれど「全部、忘れていい」と思っている。過去のことならなおさら。
「苦しみを糧に」と人は言うけれど、ぼくは、きれいさっぱり忘れて未来に進むことも大切だと思うんだ。本当に大事なことだけ残っていれば。そう、大事なことと共に生きてゆけば。
芸術やレクリエーションには、そういう力があると思う。忘却させる力。あと、恋愛もそうだ。ぼくのつくる「対話の場」も、そういう空間になるといいな。
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とりとめもない話。
幸福論か、哲学か。そんな高尚なモノではなく、日々の生活にありふれたもの。ライムを搾ったロンサカパセンテナリオ。これぐらいの揺らぎがちょうどいい。思いついたことを、つれづれなるままに。
ギフトは相手に何かを与えるだけじゃない。忘れさせてあげるのも、ギフトになり得るんだ。
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。