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寛容植物になりたい

自分のことを「植物みたいだな」と思うことがあります。

狩りをする生き物ではなく、二酸化炭素を吸い込み、光と水ですくすく育つ。葉を茂らせ、風に揺れ、日陰をつくる。こよなく静かに、他の動物や昆虫たちと共生する。誰かをおびやかすことなく、馬鹿にされることもなく。

「公共の樹木みたい」と、とある人に評されたことがあります。わたしの調える「対話の場」はパブリックガーデンであり、わたしはその環境を象徴する樹木。そう表現していただいたことがうれしかったですし、自分でもしっくりきました。

誰もが入ることができるが、誰のものでもない。

そこにいるとなぜか心地良い。日陰で休む者、湖で喉を潤す者、花々を鑑賞する者、陽だまりでじゃれ合う者。動物たちが集まってくる庭。そこに行けば、誰かと会える。安心で、安全な、不思議な場所。

わたしの「対話の場」が、そういう場所になることができれば、どれほどすばらしいでしょう。

植物は何も言わないけれど、強いです。

大地に根を張り、枯れても、枯れても、また蘇る。豪雨や暴風でなぎ倒されても、時にコンクリートの隙間からも、茎を伸ばして花を咲かせる。

寛容な人は、強さとやさしさを兼ね備えています。どちらか一方では、“寛容さ”は成立しません。庭の広さ、豊かさは、器の大きさ。

寛容植物になりたいです。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。