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千原徹也の本質

『犬神家の一族』は何十回も観ているのですが、何十回も観ながら、その数だけ確認をする───

千原徹也には常に相反する2つの人格が同居している。

「きゅーと(cute)」と「きょーき(狂気)」
「ポップ」と「偏愛」
「大衆性」と「芸術性」

バニラとチョコレートのソフトクリームのように、それらが互いに混じり合って、一つの世界観を生み出す。それが彼のオリジナリティであり、不思議な魅力。市川崑監督の映画『犬神家の一族』について語った場面で、その答えが出た。

千原
一般的に大衆映画───つまり、エンターテイメント作品は多くの人に見てもらうことが重要で、自分の考えよりも「世の中の人がどう思うか」ということを重きに置くようになる。

そうなると芸術性がどんどん下がっていくのですが、市川監督の『犬神家の一族』は、一般の人が「おもしろい」と思える要素がありつつ、同時に芸術性も高い作品なんです。

書体を全て市川監督がご自身で作ったり、映画の中で意図的にピンボケのシーンを入れたり、0コンマ何秒にサブリミナルで恐怖を刷り込むシーンを挟んだり、突然モノトーンになったり、スチールのコマ送りが展開されたり…

2時間40分という長編映画なのですが、切り取っていくとデザインのアイディアになるような市川崑演出が目白押しです。

「エンターテイメント=自分の作品性や芸術性を殺す」という図式ではなく、みんながおもしろいと思えることを考えながら、自分がやりたいことをしっかり入れていくということをこの作品で学びました。


彼の本質はここにある。

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市川崑

千原
市川崑監督の映画を好きになった時、「大人になった」と感じました。スピルバーグまではなんとなく子どもの記憶なんですね。市川崑監督の作品と出会った以降の人生は〝大人の選択〟をしている気がします。

市川崑監督の特質であり、僕が魅力に感じている部分は、「全てのシーンの構図が平面的だ」ということです。一般的に映画的な構図は斜めから撮って、立体的にシーンを描いていきます。

市川監督は正面から狙って撮る。そうすることでそこにデザイン的な構図が生まれる。スタンリー・キューブリックや最近だとウェス・アンダーソンもそうですね。そのデザイン性に惹かれました。

作品に出演している俳優さんにハマるのではなく、「自分は作り手に感情移入しているのだ」ということをこの時感じました。


『犬神家の一族』

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千原
何度もリメイクされている有名な作品です。市川崑監督の映画は50~60年代のモノクロの時代に、光と闇を巧みに演出し、コントラストの効果を活かした映像の撮り方をしました。光が当たっている面を飛ばして、反対側を真っ黒にさせる───モノクロ時代はそういった表現が効果的だったのかもしれませんが、それがカラーになってからも生きている。

それまでは『黒い十人の女』など、市川監督の奥さまである和田夏十夫人が脚本を書き、秀逸なブラックユーモアを描き、スタイリッシュな作品を撮影していました。和田夏十夫人が他界した後、市川監督は自分が何を撮ればいいのか分からなくなっていた。

その頃、角川書店が事業として映画制作をはじめました。その第一弾が『犬神家の一族』───社長の角川春樹さんは市川監督を抜擢した。今までは芸術性の高い作品を撮っていたのですが、この時に市川監督ははじめて、〝エンターテイメント作品〟と呼ばれるものを撮った。

僕の人生において、仕事の向き合い方の原点はここにあります。



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