見出し画像

「読むこと」は教養のエチュードvol.7

2020年を迎え、僕からプレゼント。全ての作品を紹介させていただきます。結果発表はその後。みなさんが送ってくれた僕宛の手紙にお返事を。「わたし」と「あなた」がつながる。それはコンテスト開催の応募要項に書いたことの証明。

このコンテストにおいて、僕は「最良の書き手」でありながら、「最良の読み手」であることに努めます。

それでは、『「読むこと」は教養のエチュード』のvol.7です。



***



43.もうきんるいにはもうならないけれど

マリナ油森さんの作品。「憧れ」について綴った、マリナさんの決意表明。人生の中で、それぞれの年代によって大切にしているものは変わる。考え方や行動も変わってくる。豊かになるもの、小さくなっていくもの。いろいろなことの積み重ねによって「今」があり、その「今」と「過去」が「未来」のわたしをつくる。

目的を失った時でさえ、身の回りの大切なものたちはそれぞれに生命を育み、手と手を取り合って新しい出会いを引き寄せる。「空白」でさえ、マリナさんにとっては大きな価値がある。彼女は、それらに「意味」を与えていく。クリエイティビティというのは、0から1をつくるだけじゃない。「今、価値がない」と思われているものに対して、価値を与えることも創造だ。

それは人生の新たな味方であり、味わい方。そう、味わい方が上手な人は人生を豊かに過ごすことができる。そして、彼女はおいしいお料理だけでなく、自身の人生を味わうことがとても上手だ。もちろん彼女の「0を1にする力」にも惹かれているこ違いないとは言うまでもない。

この作品が、彼女の未来の「何か」と繋がることを楽しみにしている。きっと、猛禽類だった頃でも「マリナ油森」はやさしい人だったに違いない。




44.僕らのキセキ

逆佐亭裕らくさんの作品。中学時代、仲間から「暴走族しようぜ」と誘われた裕らくさん。その時のことを小気味好い文体でユーモラスに綴る。

緊張感を与えながら読み手を惹きつけて自在に落としていくこの文章はもちろんおもしろい。ただ、何だろう。行間の彼に惹かれる。文と文の間から覗く裕らくさんの姿。こんなことを書くと裕らくさんは嫌がるかもしれないけれど、「次の一文」を考えている時の彼はかなり二枚目なんじゃないかな。

真剣に「おもしろいこと」を考えている姿。カッコいい。僕は、「真剣」に何かをつくる人が好きだ。それが人を笑わせる種類のものでも、「真剣」は伝わる。行間からあふれ出す。その「真剣」が物語と絡みあって推進力が生まれる。

Twitterのコメントの「彼の次の一手に踊らされる」というのは、裕らくさんの研ぎ澄まされた思考の先に出てくる言葉や展開に高まる期待。踊らされる体験は何とも心地良い。



45.サンタクロースのひみつ 

はるさんの作品。クリスマスを迎えた「ゆいと」くんのお話。これはまさに、子どもの頃の記憶をもった大人のための贈り物。まさしく、大人の絵本。

もう、槇原敬之さんかさだまさしさんに曲にしてもらいたいくらい。いろんなことを考える。たとえば「嘘って何だろう?」とか「大人になるってどういうことだろう?」とか「ひみつの尊さ」とか。この物語の中にはそういった「考えるきっかけ」が散らばっている。

これは創作した物語だから「ゆいと」くんは存在しないのかもしれないけれど。自分が小さかった頃を思い出し、大人になりながらいろいろなことに気付いていく喜びやそこで生まれる感謝に想いを馳せた。人生は、あの時の「答え合わせ」があるからおもしろい。

心温まるお話。



46.「別れに慣れる日」なんて、きっと来ない。

森本しおりさんの作品。僕はていねいな文章が好きだ。それは文章だけでなく、「ていねい」で施された仕事や、あるいは人生に好感を抱く。森本さんの文章はていねいで、きちんとしている。「きちん」というのはリズムであり、背筋である。読んでいて心地良い。

洞察力が豊かで、心の機微を細やかに描く。「何気ない一日」なのだけど、森本さんの描写によってそれは「特別な一日」へと変わる。彼女の感受性は、湧き起こった感情をやさしく包み、言葉へ落とし込んでいく。そこにはきっとパステルカラーのやわらかな美しさが宿っている。

ていねいは安心を与え、とても自然な形で、人の心を動かす。そのことを改めて気付かせてくれた。




47.漫画「カノジョになりたい君と僕」を通して思う、自分の性自認 

岩倉康さんの作品。 Twitterのコメントに書いたことが全てで。生きづらさを感じている人は岩倉さんのこの作品を読んでみてほしい。それは「あなた」にとっての答えではないかもしれない。でも、ここに書かれていることは、あなたが今抱えている問題の隣でやさしく寄り添ってくれる。それは、「手助け」として機能するに違いない。

この作品の「テーマ」を特別視するわけではないけれど、岩倉さんの考え方や違和感や迷いや感受性は文学そのものである。一冊の漫画が「言葉にならないそれら」を吹き飛ばしてくれた。それが「解決」ということではないけれど、岩倉さんにとって重要なことは「吹き飛ばしてくれた」という事実だ。

創作は自分自身だけでなく、どこかの誰かを救う。その「救った数の多さ」が世の中からの評価なのかもしれない。ちなみに、ヘッダーのイラストは岩倉さんのイラスト。あの時の紺色が、これほどかわいい色彩で踊るなら、岩倉さんはたくさん絵をかくべきだ。



48.3枚の「嫌われカード」を抱きしめて 

矢御あやせさんの作品。3枚のタロットカード。どうやら三大凶と呼ばれる嫌われ者のカードらしい。矢御さんはそれらのカードを「どうしようもなく、大好きで愛おしい」と言う。その理由は作品の中に書かれている。とても興味深い解釈が展開され、そこからなめらかに「愛」について考察へと移る。

読み終えて気付く。ここに書かれていることは、豊かに生きる上でのヒントとなる。あらゆる言葉や状況は、捉え方次第で自分の背中を押してくれる存在となる。この考え方さえ身につけることができれば、日々を前向きに、愛おしく生きていけるような気がする。

宗教はそれを導き、哲学はそれを深める。だとすれば、優秀な占い師は、迷える人間の背中をそっとやさしく押してくれる存在なのかもしれない。




49.価値観の違い、で済ませるのは簡単だけれど 

ふらにーさんの作品。文章に散らばる思考の断片に知性を感じる。ふとしたことで「彼」と言い争いになった。どちらも悪くない。悪かったのはタイミングだけのような気がする。

ふらにーさんは「もっと良い手段(表現)はなかったのか」と考えを巡らせる。「彼」のことをもっと知ろうとし、喧嘩のきっかけとなったことについてより深く学ぼうとする。僕は、それこそ愛であり、教養のエチュードなのではないかと感じた。

人間は一人では生きることができない。相手のことを尊重するためには、相手のことを知る必要がある。「好き」には「知りたい」が含まれている。敬意をもって接するということは、「相手を知ろう」という行為がなければ成立しない。そこで行われる学びは教養のエチュードだ。相手の考えに染まるだけではない。自分の考えも尊重し、接点を拾い、相手の想いも推し量りながらなめらかなコミュニケーションを構築する。とても素敵なお話。



***


vol.8へと続く


▼「読むこと」は教養のエチュードvol.6 ▼


1月22日、大阪のイベントで登壇します。僕から3名様にチケットをプレゼントします。どうぞご応募下さい。みなさんと会えることを楽しみにしています。


▼詳しくはこちら▼



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。