毎日が下拵え
下拵えしているものだけがチャンスに気付くことができる。そこには「運」も「偶然」もなく。いつだってチャンスは目の前にある。ただ、気付くこともなく通り過ぎているだけで。
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検索窓に言葉を並べても、出てこないこと。人に聞いても「わからない」「しらない」と言われること。図書館の本を片っ端から調べても書かれていないこと。答えを外に見つけるのではなく、ヒントをかき集めて自分で答えをつくっていけばいい。自分なりの方法で。
検索窓にも、人の言葉にも、図書館の本にも、ヒントの断片は転がっている。成立させるための条件は自分で準備して整える。チャンスは百貨店の棚には並んでいないし、ディアゴスティーニのように毎週自宅に送られてくるものでもない。頭をひねりながら、間違えたり、反省したり、改善したりして、「答え」に辿り着く条件を整えていく。その下拵えを日々続けている人にしかチャンスは見えない。
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今の時代、情報はほとんど平等に与えられていて。少し努力すれば、簡単にアクセスできる。そこに差がないのだとすれば、誰しもがチャンスを手にできる時代なのかもしれないね。そんな気がする。
もうこの世にはいない作家の言葉を読んだりする。数万冊の本を読み、毎日数万字の言葉を書いていたことがわかる。数千万の言葉が頭の中に滾っている。それと同じくらい努力すると、今よりずっといい文章を書けるかもしれないね。乱暴なたとえ話だけど。
自分を褒めてあげる時間も大事だけど、自分に厳しい言葉を投げかける時間も大事。人の〝どうのこうの〟は関係なく、これは誰でもない自分の人生なのだから。
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「この人とこの人を引き合わせたいなぁ」ということがある。利益とかは無関係に。なんだかおもしろくなりそうな気がするという予感。ぼくにはある。自分が誰かにとっての〝この人〟になれるといいよね。
それは日々のユニークな行動や考え方、あるいはチャーミングさが大きな要素になっている。つまり、日々、いかに生きているか。それは下拵えとも言い換えることができそうだ。
「運」も「偶然」もなく。いつだってチャンスは目の前にある。誰かがそれを運んでくることもあるし、自分の力で発見することもある。
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新幹線の中で、そんなことをふと考える。
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