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一緒に帰ろう

夏のはじめ。愛犬が大病して、生死を彷徨った。

ジュリアという名前のやんちゃでおせっかいな女の子。明け方、突然取り乱したように鳴き出したので、ぼくも妻も困惑した。妻がその小さなからだを抱きかかえ、さすっている間に穏やかになったのでひと安心したが、しばらくすると名前を呼んでも反応しなくなった。虚ろな瞳、焦点は合わない。急いで、ぼくたちは動物病院へと車を走らせた。

化膿した子宮の一部が破裂したという。その場で、全身麻酔を打たれ、手術がはじまる。四本の足が紐で結ばれ、口に物を詰め込まれる。上下に浮き沈みする腹にメスが入る。熱いものが湧き上がり、だんだん視界がぼやけてきた。ぼくは、手術台から一度も視線を逸らさなかった。逸らしてはいけない気がした。

一時間を超える大手術の末、なんとか一命を取り留めた。お医者さんは「奇跡だ」と言った。点滴に繋がれ、ゲージの中で眠り続けるジュリア。声をかけても反応はない。とりあえず命は繋いだが、これから山場は何度か来る。安心できる状況ではない。ぼくたちは病院を後にした。彼女のいない家はひどく殺風景だった。

ぼくたち家族は、毎日時間を見つけてはジュリアに会いに行った。眠る彼女の息遣いを感じ、からだに触れた。撫でてもらうのが大好きだったあの頃の姿を思い出しながら。「意識が戻るかはわからない」先生はそう言った。動物病院のスタッフのみなさんも、とてもやさしくしてくれた。ジュリアと僕たち家族に。

肌に触れながら、名前を呼ぶ毎日。反応はない。きっと「生きよう」と闘っているんだ。妻は毎日泣いていた。ジュリアの前でも、ジュリアのいない部屋を見ても。やんちゃでおせっかいだったから、余計に淋しく感じた。いつも付いて回って、覗きに来たり、抱っこしてとおねだりしたり。あの彼女がいない。

「一緒に帰ろう」

毎日、そう声をかけ続けた。きっと彼女が一番、家族の待つ家に帰りたいと思っているから。ある日、ぼくたちの声にジュリアは反応した。一瞬頭を持ち上げて、また眠りはじめた。彼女は夢と現実の狭間に確かにいた。ぼくたちは大泣きした。

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その日を境に彼女は少しずつ回復してゆく。頭を揺らしながら、手を動かし、立ち上がろうと試みる。神様からはじめて「からだ」を与えられたように、少しずつ「生きる」を覚えようとした。妻を悲しませない彼女の最大のやさしさなのだと思う。そう、ジュリアはやんちゃでおせっかいだけど誰よりもやさしい。

病院へ行くと、点滴を付けたジュリアが飛びついてきた。正確には、崩れかかるような動きだけど、明らかに彼女の意志を感じた。先生もスタッフも驚いていた。八月のおわり、なんとジュリアは退院した。首は歪んだまま、上手には歩けない。それでも、家族の待つ家に帰って来れたのである。

彼女の「生きたい」が勝った。ぼくだったら勝てていただろうか。わからない。これからの人生はボーナスだ。彼女にとっても、ぼくたち家族にとっても。いくらやんちゃでも、いくらわがままでも、いくらおせっかいでも、ぼくはもう叱らない。すべてが愛おしい。「生きる」を感じるそのすべてが。

今朝、ジュリアが大きく「わんっ!」と吠えた。涙が出るほどうれしかった。そして、愛おしかった。

ぼくは彼女を尊敬している。「生きたい」を貫いたこと、そして妻を悲しませない大きなやさしさに。

ジュリアの声で、ようやくこのことを「書きたい」と思える日がきた。ぼくたち家族の話。

少しずつ、少しずつ。
なんとか、そう、なんとか。

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